登録情報
|
訳者が原本をどのように解釈したかにかかっています。解釈が違えば、当然、訳もちがってきます。以下にその解釈の違いの一例をあげます。
「カントの哲学は、客観的独断主義という分析的思考の形而上学に終止符をうつものではあるが、実のところ、この形而上学を主観的独断主義へと、つまり、同じ有限な分析的観念が意識のうちにあるとする独断主義へとうつしかえたもので、完全無欠な真理への問いは放棄されています。」(下巻、p.396)
1、「分析的思考」「分枡的」は、従来の訳語では「悟性(的)」。「観念」は、従来は「規定」です。2、ですから「分析的観念」は「悟性規定」であって、「純粋悟性概念」つまり「カテゴリー」のことです。「カテゴリー」は後には「普遍的な思考規定」といわれている。これはヘーゲルの論理学からみると、「反省規定」すなわち「本質」のことであることがわかります。「本質」のあとには「概念」、カントでは「カテゴリー」のあとには「理念(理性概念)」がきます。3、「完全無欠な」は「自体且対自的」の訳語です。「自体且対自的」は真理の最後の段階、「理性(理念)」を意味します。「悟性規定」が「それだけで存在する(対自的)」段階に止まって、絶対知は放棄されている、という意味です。それを「有限な」という語で表現しているわけです。 そうすると、引用文の後半部分は、「つまり、同じ有限なカテゴリーが意識のうちにあるとする独断主義へとうつったもので、絶対的な真理への問いは・・・」となります。でもこんなことができるのは訳者のおかです。
|