日本哲学界の巨人、廣松渉による哲学入門書である。
漢字を多用する廣松の文体は独特であり、好き嫌いが分かれるところであろう。人によっては拒絶反応を起こしてしまうかも知れない。だが読めば分かるが、見た目に反して廣松の文章は決して難解ではない。本書は廣松自身も約束しているとおり廣松の著作の中では最も読みやすく、しかも単なる哲学史の解説書ではなく廣松哲学のダイジェスト版ともいえる内容なので、廣松入門としても最適な一冊と言える。
廣松のライフワークである『存在と意味』(未完)には「事的世界観の定礎」という副題が付いている。実質的な主著ともいうべき『世界の共同主観的存在構造』の冒頭を読んでも分かるとおり、廣松の壮大な試みは主観客観図式の破壊とそれに代わるパラダイム(四肢構造)の構築であった。前者を物的世界観、後者を事的世界観と呼んでも大過ないであろう。
まず「モノ」があり、それが集まって「コト」になるとわれわれは思っている。廣松の事的世界観とはその順序が逆であることを証明しようとするものであるが、その準備段階として廣松はまず「モノ」の概念に揺さぶりをかけようとする。われわれはあらゆる「モノ」が原子なるものから構成されていると理解し信憑しているが、その原子とは何であろうか。われわれはそれを見たことがまずないし、原子核の周りを電子が回っているというあの構造がもしも正しいならば、モノの内実はスカスカになるはずではないか?
原子よりもさらに小さい素粒子には同一性がないという、量子論における注目すべき物理学的事実や、ミリンダ王vsナーガセーナ師の問答なども廣松は援用する。新書という限られた紙幅ゆえ四肢構造の積極的論述には至っていないが、物的世界観に洗脳されているわれわれの常識を揺るがすには充分な内容である。