分析哲学の歴史を、フレーゲ以降の「言語論的転回」だけに見るのではなく、19世紀以来のマッハ、ボルツマン、ポアンカレ、デュエムといった科学哲学も視野に入れて捉え返す。それはたんに20世紀が「科学の世紀」だからという外在的な理由によるのではなく、本書が、「哲学の自然化」という大きな流れにおける分析哲学の位置を見届けようという、鋭い歴史意識に貫かれているからである。分析哲学を導いた中心的な発想は、概念の分析を通じてアプリオリな真理を見出すという、伝統哲学とも共有する志向であったが、実は、このような「言語哲学の特権性」は、20世紀の終盤には失われる運命にあった。
それを予知したのが、クワインによる分析的真理の拒否と、認識論の自然化という主張である。事実、1980年以降においては、言語哲学は言語学化し、認識論は認知心理学、脳科学、進化論、コンピュータ科学、社会心理学などの諸科学の成果に基づいて展開されるようになった。このような「哲学の自然化」の流れの中で、哲学は科学に解消されてしまうのだろうか? ローティ、後期パトナム、マクダウェルなど、この問題へのさまざまな対応を視野に入れながら、編者の飯田隆は、自然化できない哲学の領域として、懐疑論、自由と決定論、観念論vs実在論の問いなどを挙げる。わが国の言語哲学の第一人者が、哲学のあるべき姿を求めて描いた分析哲学の歴史。戸田山和久、伊勢田哲治ら「哲学の自然化」論者を含む優れた執筆者たちが加わった労作だ。