米国人言語学者がみた、日本語における和製英語についての本の邦訳である。
違和感があちこちにありまくりで、読み進めるのがちょっとしんどかった。
端的に言ってしまうと、日本語のなかにあるカタカナ語はほとんど英語由来で(うんうん)、だけど本当の英語とは違うから(そーだね)、それらはすべて和製英語であり(あれ、そーなの?)、したがって日本語のなかで相当割合の英語が話されている(え゛)…という趣旨の本だった。外来語として取り上げられているものも、この原著の出版年が2004年のためかなり色あせてしまっている例も多い。
第4章「英語との接触に苦闘してきた日本人」は、江戸時代に英語とファーストコンタクトを果たしてから、通詞たちの活躍、横浜で横浜方言と呼ばれるピジン英語が存在したこと、その衰退、森有礼の日本語廃止論など興味深い記述が多い。この章を独立・発展させて本にしてもいいくらいだと思える。
しかし現代日本で用いられている外来語(筆者はこれを和製英語と主張しているが)についての観察・調査は十分とは言えず、解釈の勘違いも多い。「全世代で英語の上限・語彙があまねく使用され、日常言語に占める英語の割合が10パーセントにもなるといわれる日本という国を、どのように説明すればよいのかという問いである。(p.237)」こう書かれているが、はたして日本に住んで日本語を使っている日本人で、自分は日常言語の1割英語を使っているんだと認識している人がどれだけあるだろうか? 筆者のこの前提が私にはどうしても首肯できない。日本の英語教育が、標準的イギリス式発音を使用している等の記述も正確とは言えないだろう。
ただ、看板の表現で「お好み焼」という文字にローマ字で「okonomi yaki」とふりがなが振ってあるなど、日本人はローマ字という新しい記述方法で表現を楽しんでいるという指摘はもっともだなと思えた。
この本は元になった筆者の大著から日本人に関係の深そうな6章分を筆者自身が抜き出して編纂したとあるので、もしかしたら原著全体を読めばもう少し深い洞察が得られるのかもしれないということは付記しておく。
私は翻訳を生業としているのでこの本の翻訳にも興味を持って読んだが、あきらか間違っていると思われる箇所が2箇所あり、全体の翻訳の信憑性を下げている(けっして読みにくい訳文ではないが、かなりシンプルな竹内まりやの"Let's Get Married"の歌詞の訳を間違っているなどは初歩的だ)。