「タイトルから想像する『暗記』」と「本書の『暗記』」はかなり異なる。和田氏は「『なぜ、こうすると解けるのか』『なぜ、こういう手順で解く必要があるのか』という理解をともなった暗記」と説明している。
一般人の想像する言葉の意味と和田氏の言葉の使い方が違いすぎている。誤解されても仕方ないかな・・と感じる。
今回の説明によると、「和田氏の暗記数学」は実は「暗記数学ではなかった」と言っても過言ではない気がした。
他の人と同じことを和田氏独特の言葉遣いで表現している。「理解する」という思考が必要不可欠であり、和田氏自身も本書では「理解することの重要性」をかなり強調している。(前著では、説明不足だったのか、気づいていなかったのかは不明である)
基本的には「真っ当な学習方法(の初期段階)」と言える。
「思考力」が「知識」をベースにしていることは当然であろう。これをして「暗記だ!」と言うのには無理があったのではないだろうか?本書でも「解法暗記の後には、試行力トレーニングが必要である」とも強調されている。これは暗記した解法を使えるように訓練することを指す。「暗記」は「始まり」でしかない。
比較対象の「自立型数学」の例が極端すぎてフェアではないことが、多少気になる。
「(個人の状態にかかわらず)時間をかけて考えるほどいい。考えれば考えるほど思考力がつく」という主張はいかにも雑である。このような主張は「いい加減な自立型数学」としか言えない。これに賛成する人は少ないであろう。
私見であるが、「和田氏の暗記数学」と「思考力重視数学」の重要な違いが、ひとつだけ「知識の運用段階」にある。
「暗記数学」では「解法は青チャートで十分」であり「新しい解法の発見は必要ない」「スマートな解法も必要ない」と切り捨てている。ひたすら「知っている解法」を適用する。
一方「思考力重視数学」では「解法の本質を見抜き適用範囲を広くする」ことと「新しい解法の発見もおおいに賛成」である点が「暗記数学」と大きく異なる。ちなみに、得た知識を使いこなす訓練が必要なことは共通している。
しかしながら、この違いは読む人の心がけでいかようにも変えられる。表面的には、行っていることに何らの違いも無いからである。
ともあれ、本書は「思考力養成の第一歩」「真っ当な学習方法の指南書」としておすすめできる。惜しむらくはそこでとどまらず、得た知識と経験を「思考力に昇華させる」方法にまで踏み込んで欲しかった。無理して矮小化しなくてもいいのに(笑)・・