第一巻の序文におけるJ. S. バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンへの言及は本教程が長調・短調に基づく調的和声的音楽の枠組みに止まることの表明であり、巨匠の楽曲や様式の直接的な解析を意味するのではありません。楽曲分析は音楽形式学等を経て個人的専門的な研究に譲られ、本書の知識はこれを支援するのです。
和声学の実質は個々の和音の性質と連結法の教授にありますが、その方法は、歴史的に、感覚による応用的なものと分析による理論的なものの二種類に分類されます。前者は簡単な禁則以外理論的なことには触れず専ら通奏低音(数字付低音)によって和声の連結を修得させる古典的な方法で、フランスが主流。後者は調性音楽の本質を明らかにする中でハウプトマンが確立しリーマンが大成した機能和声理論の流れを汲み、イギリス、ドイツが主流。日本は西洋音楽をドイツ経由で輸入した経緯から後者の伝統に属します。体系の成立は19世紀末。よって新しい時代の視点から過去の音楽を解析するという状況は当然であり批判は全くの言いがかりです。寧ろ我々は18-9世紀の音楽の和声構造を完全に解明した科学的思想としてこの理論を学ぶのです。
初学者の方には次のことを知って頂きたく思います。ひとつは、上記二つの流れが方法論の違いに過ぎず相反するものではないこと。機能和声を学んでから通奏低音に習熟することも、またその反対も可能です。もうひとつは、現実的な問題として、我が国の音楽教育は機能理論を採用していること。その中心として本シリーズは編まれており、逆にこれを修得していなければ主要音楽大学の作曲科は受験できません。
楽曲から実地に学ぶことは確かに重要。私も総譜をたくさん勉強しました。しかし、それは理論的探究や教科書を全否定する根拠にはなりません。寧ろ危険なのは狭隘で排他的な態度を教育の現場に持ち込むことで、これこそが強く戒められるべきなのです。