著者の本は前3作とも読んだが、今作は何か新たな次元へと踏み出した感のある力作である。
著者が追いかけるテーマのユニークさにいつも感心させられるのだが、
「君は隅田川に消えたのか」は、昭和の初期に24歳で突如姿を消した
版画家藤牧義雄を取り巻く謎に迫るノンフィクションミステリーである。
本作を読むまでは、日本の近代美術史にも版画にもまったく知識がなく、
まして藤牧義雄という名前も聞いたことがなかったのだが、
そんな門外漢にさえ、読後に版画の世界や藤牧作品に興味を向けさせるあたりは、
著者の力量に素直に脱帽するしかない。
若くして不遇な人生を辿ったとされる藤牧義雄と、
版画界の重鎮となって勲章まで授与されるまでに登り詰めた小野忠重が織りなす錯綜した人間史は、
天才モーツアルトとその「死」に関わったとして疑惑を向けられたサリエリの物語にオーバーラップする。
まさに「日本版アマデウス」というにふさわしいかもしれない。
モーツアルトも藤牧義雄も「父」という存在に大きな影響を受け続けた無邪気な天才であったようだが、
その人生はどちらも不遇だったとされている。
著者は、デジャヴのように藤牧作品の「赤陽」に遭遇し、そこからかんらん舎の大谷芳久のところへ辿り着くのだが、
大谷が追ってきた藤牧作品の謎に魅入られるあたりから、著者(駒村)自身も、この物語の登場人物に加わってしまう。
その著者の微妙な立ち位置が読者に奇妙な臨場感を提供し、まるでデッサンのように物語の輪郭をくっきりと描写して見せる。
駒村吉重という作家は、前3作もそうだが、不思議な描写力を持っている。
「煙る鯨影」では鯨捕りの男たちの潮混じりの汗臭さとその胸の鼓動を「文字」の持つ限界を超えて伝えきっている。
そういう五感に届く描写力で、今回は「版画」という世界へ読者を誘い込んだのだ。
版画の世界は、印刷と同じで色によって分版されることが多いらしい。
つまり、数版を重ね合わせて初めて「絵」が出来上がる世界である。
さらに言うなら「鏡絵」の世界でもある。版の中は「あべこべ」の世界なのだ。
著者は、思想や宗教が交差する時代背景を写し取りながら、断片的に散らばっている数々の事実を丁寧に掘り起こし、
まるで「版画」のように重ね合わせて行くことで、藤牧義雄にまつわる謎を浮き彫りにしていく。
しかし、その重ね合わせの実像が、小野忠重が創り上げた虚構を暴き出していくことになるのである。
謎の本体が小野忠重の心の内に秘められていることは、読み進むうちにすぐに気づくことになるが、
著者はそこへは敢えて踏み込まず、終始藤牧像を彫り続けることに読者を誘導する。
そして、最後には著者自身がさらりと身をかわして、読者を隅田川に置き去りにしたまま物語に余白を残すのだ。
この「答え」を求めない潔さは、前3作から一貫している著者の姿勢でもある。
しかしこの余白にこそ著者が追い続けるテーマがあるのかもしれない。と、そんな気にさせる。
じっくりと腰を据えて読む、珠玉の一冊であることは間違いない。