徳永の数あるラブソングそしてシーンに数多あるラブソングの中でも、詞のタッチや趣向が少し違うつくりであり、また劇的な展開がない淡々とした曲ながら個人的にはかなりの名曲だと思う。全体に貫く男の新しい境地への決然さと、それを伝えようとする意志が静かに、切なく心に降ってくる。親が娘に、又は彼氏が彼女に歌うよう。私は後者支持だ。不器用でピュアな彼女に対する男の慈愛に目覚める視点だ。
思えば恋愛には去られて初めてわかることがある。あの時こうしたらよかったとか、自分にとって相手とはどういう存在だったか等、失ってから気付くことは多い。後悔しても遅いのだ。例えば、恋人の粗が見えてきた時、気になってその欠点を直そうとつい色々指摘したりする。こちらは善意のつもりでも、相手にはいつのまにか見えない負担として降り積ってゆく。不器用な彼女は精一杯頑張ろうとしてゆくが、しかしそれが知らぬ間に笑顔を消させていたり、最悪、関係を崩壊させたりもする。そして男は事態を受けてから気付くもの。この時の心象を曲は描こうとする珍しさがある。そこでは彼女が彼女であるという最も大切なありがたみを描くのだ。相手を啓蒙するのが恋愛ではない。彼女を形成する負の要素も慈しむことが出来ること、ここに至り、ひとつ愛を育むステップを踏めるのだろう。曲想の礎ではそういうシンプルな強さが脈打つ。おそらく男も不器用な面も含めた彼女の輝きこそが、惚れた最大の引力だったのではないか。
「もう泣かなくてもいいよ」と男は言う。この詞が彼女に向けたものなら、彼女はまだ彼の袂にいるかにみえる。しかし、逆にこの詞は記憶に焼きついた泣き顔の彼女に、心で呟くようにも受け取れた。『青い契り』で“もう二度と君の涙を憶えたりしないよ”というように。