この短編集は大正、昭和に活躍した作家の短編集であるにもかかわらず、全く色あせていないことに驚く。
この中でも、圧倒的だったのが、林芙美子の“骨”。当時でもエリートであった、主人公の道子が、戦争未亡人となった上に病人を抱えて娼婦業に身を置く事に余儀なくされる。二人の病人と子供を抱え、道子の体も弱いという、極端な困難と困窮の中を描写していてもなお、若くして亡くなった作家林芙美子の語り口はなおもって力強い。林は、人の心を描写するというよりも、登場人物がその目に入るものをどうみているかという事、また、周りにどんなものがあるかという事を淡々としかし絶妙に明確に描く事によって、彼らの心を浮き彫りにするので圧巻である。
戦争学徒労働によって病気になり死を迎えんとしている弟のわがままに対して、道子は思わず ”一体どうして私が皆を毎日食わしているから知っているの?.....私に食ってかかるより戦争を呪うがいいやっ。療養所でもどこでも行っておくれよ。”といってしまうと弟は、“俺、ここにいる。どうせ死ぬならここにいる。”消え入るような細い声で泣きながら...。” 戦争に勝つ事を無垢に信じて、ひたすら働いた少年の余りに早い死をまえに、その不合理を思っても誰もが全くの無力だ。
この短編で流れていくのは、可憐な悲しさでなく、現実的な事実としての不幸であり、その現実感は、時代を超えて飛んでくる。
不幸であれ、幸福であれ、どの時代であれ、苦しみ、ただ生きたというこの小説は、人生の真髄とは、ただひたすらに生きて、当然の用に死ぬのであるという中にある事を直球で伝えてくる。