「東京はノスタルジーの似合う都市だと思う。(中略)風景が短期間に激変する。そのために近過去への郷愁、ノスタルジーという独特の感情が生まれる」
「あとがき」の著者の言葉に思わず唸ってしまう。「変わらないこと」が郷愁を呼ぶ「故郷」に対し、「変わること」がノスタルジーを喚起する「東京」。地方出身者の手によるぞんざいなスクラップ&ビルドを、変化の妙として心底楽しんでいる東京人、川本三郎のクールさ、鷹揚さは、やっぱカッコいいし憧れる。
写真と、川本三郎の文章に、色々考えてしまうところはある。同じ自己表現でも、全面自己肯定的な「今」より、自己否定の「新宿・1969年」の頃のほうが、なんぼか謙虚で可愛げがあったよな、とか。 「浅草・1960年」の六区の芋洗い状態を見て、“スリの殿堂・浅草”って伝承をはじめて実感出来たよな、とか。東京のシンボルは、銀座・服部時計店の時計台→東京タワーっていうモダンから機能美の流れの後に、バブル・東京都庁舎→似非バブル・六本木ヒルズって流れが来るんだろけど、実際の話、どんどん下品になっていくものだなぁとか。
ルネ・ブリとかアンリ・カルティエ=ブレッソンとかロバート・キャパの、異邦人の目を通した東京がいいアクセントにもなっている。ニコライ堂にしても東京駅にしても、西洋っていうか外国が、街中の風景に異和的に存在している、ってことも、とても重要なことだったんだと思う。いま、西洋とか東洋とか日本とか、本質的にはまったく意識しないけど、(あるいは麻痺しちゃってるけど)、ほんとそれでいいの?って言う。
雑誌連載をまとめたものなので雑誌フォーマットはしょうがないんだけど、横位置写真が見開きにまたがって、ページとのページの谷間の部分の画像情報が断片的に欠如しちゃってるのがちょっともったいないよね。