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主人公は名前すら自分でわからない。誰でもありうるし誰でもありえないと自分で言う。同時に、記憶することができないので、まとまったエピソードを語ることもできない。それでもしゃべり続けることくらいはできる。自分が話しているのか、それとも言葉が勝手に流出するのか、どちらでもいいが、しゃべることができそうなので、しゃべっている。でも、その言葉を自分でつくりだしたのか、それがどこかからやってきたものなのか定かではない。そんなおしゃべりが全編にわたって、延々と続く。
むろん、読者はこの語り手がどのような人物なのか想像することもできる。ベケット本人だと思うこともできるし、精神病棟に幽閉された患者だとの解釈も可能だ。しかし、そのような「名づけること」をベケットは見事に回避し、読者を落ち着かせるような失敗はおかさない。物語も、登場人物もイメージとして定着することはご法度だ。
その結果、小説を書く行為に関する、すさまじいまでの思考という運動の軌跡がここに残っている。これが有用なものか、無用のものか、まだわからない。だが、小説を書くプロセスを遡行して、原初的な発話行為の混沌自体に戻ろうとする不可能な試みをベケットがやってのけたことだけ確かだ。ベケットの到達地点ともいえる記念碑的作品。
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