「最初の一日」(昭和十六年十二月八日)では、真珠湾奇襲の急報に同士撃ちと受け止めたり、「ハワイではなく、フィリピンの間違いではないか!」「日本軍がパールハーバーを攻撃出来るはずがありません」という米国高官に対して、「日本人はこういう思いがけないことをやるやつなんだ」と一人冷静なルーズベルトの反応が印象深い。
「日本も、けさから、ちがう日本になったのだ」(太宰治)「世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた」(高村光太郎)などと、日本人の多くは緒戦の戦果に歓声を上げた。逆に、巨大なボイラーたる米国に点火してしまった日本の「木っ端微塵に打ち砕かれるであろう」運命を予想したチャーチルは、米英連合軍の勝利を確信する。
敗戦に至る「最後の十五日」(昭和二十年八月)では、戦局の不利を省みず本土決戦を唱える頑迷な軍部主導の日本と、原子爆弾を使用し非戦闘員を巻き込む多大な死傷者を出しても米国兵士の犠牲を抑え、日本の早期降伏を促す意志のトルーマンに率いられた米国とが対照的に描かれ、<人間行動の賢愚>がもっとも端的に顕われてくるのが戦争なのだと気付かされる。
意地と面子で戦争継続を主張する陸軍首脳部。国民不在の<長評定>に明け暮れる政府に業を煮やした抗戦派青年将校が武力叛乱を画策する。大陸ではソビエト軍の満州侵攻に関東軍関係者が我先に逃げ出し、皇軍に見捨てられた満蒙開拓団の日本人を引揚げの悲劇が襲う。「この静かな夏の日の日本が、今の瞬間から、恥辱に満ちた敗戦国となったとは!」という玉音放送の証言者には、疎開学生だった著者自身も含まれていた。
著者の<故国再生の想い>をも代弁する大佛次郎の文章が味わい深い。「切ない日が来た。生き残った私どもの胸をつらぬいている苦悩は、若ものたちを無駄に死なせたかという一事に尽きる。(中略)待っていて欲しい。目前のことは影として明日を生きよう。明日の君たちの笑顔とともに生きよう。その限り、君たちは生きて我らと共に在る。」 戦禍の同時代人だからこそ、著者には太平洋戦争を俯瞰する証言記録の『同日同刻』を著す必然性があったのだ。