この本の p.194 に Schubert がまともな音楽教育を受けなかったと書かれているのを見て,暗澹たる気分になった.これは誤りである.Schubertは当時の Wien が提供できる最高の教育を受けているのだ.学校の名前(Stadtkonvikt)が翻訳不能なので誤解されるのだ.これは帝室礼拝堂の聖歌隊員を養成するための全寮制の帝立王立音楽学校で,Schubertはここに1808年から1813年まで在学した.この学校には生徒達によるオーケストラがあって,Mozart, Haydn, Beethoven などの作品が演奏されていた.楽器演奏法が教授され,Schubertは今のスコアで言えばフルートからコントラバスまでの楽器を扱うことができた.Schubertが何故あれほどの管弦楽法の達人だったか, また何故あれほど大勢の有力有能な友人を持てたのかは,この学校を抜きにしては理解できない.彼は第一シンフォニー(D82) を校長に献呈して学校を去ったが,この作品はここのオーケストラの為に書かれたものと言える.なぜなら,初稿があまりに演奏困難だったので,生徒の要請を容れて易しくした跡が残っているからである.