『この国のかたち』では、司馬遼太郎は、直接的ではなく、遠まわしに時事ネタに言及してました。時事ネタに対応する歴史上の事件を書いたりして。なので、時間が経過してから『この国』を読む人には意図を読み取りにくい部分があります。本書は、元の原稿に毎回付いていた、より直接的な内容の編集長宛メモを明らかにすることで、それを浮き立たせます。
日本に遅れて、戦後、近代化・国民国家・健全なナショナリズムの成立を目指していた韓国や台湾で、早い時期から、指導的立場の人たちに司馬遼太郎は愛読されてたようです。また、同時代で他国の『坂の上の雲』を見る司馬遼太郎の目も優しいものでした。彼は李登輝だけでなく、朴正煕のことも高く評価していました。
「原稿の上で、朴正煕評価に限ってはそれがあらわれなかったのは、李登輝と違って、直接会うことがなかったからかもしれない。
『街道を行く 韓のくに紀行』は朝鮮研究としても実に興味深い著作だが、気づかいや一種の遠慮の気配も感じられないではない。ただし、この時期から朱子学の『思想の海』との朴正煕の果断な(果断すぎる)戦いを高く評価していたなら、戦後の思潮と日本人独特のバランス感覚から推して、司馬遼太郎が『国民作家』と称されることはなかっただろう。逆に『危険な思想家』に分類されていただろう」(P122-123)