2007年4月26日から2010年6月24日まで、77回にわたって奈良新聞に「司法の犯罪は防げるか―裁判員制度を検証する」というタイトルで月に2回ずつ連載したものをまとめたもの。メインとなる主張は陪審制度の復活だが、冤罪防止についても、同程度の重さが置かれている。
大きく分けると、現在の検察・警察による取り調べや裁判などの問題点、裁判員制度の問題点、裁判員制度ではなく陪審制度を復活させること、の三つについて論じられている。
最初の点に関しては、取り調べにおける人権侵害(長期拘留など)、すべての証拠が開示されないこと、そして「推定無罪」の形骸化、裁判官の“官僚化”などについて。
二点目に関しては、職業裁判官と裁判員の合議制や公判前整理手続がはらむ問題、思想信条の自由への抵触の可能性など。
三点目が、裁判員制度に対して陪審制度の優れている点などを指摘し、現在は「停止」状態にある陪審制度の復活を主張。
戦前の一定期間に日本でも陪審制度が実施されていたのは知っていたが、「廃止」ではなく「停止」という状態であることには驚いた。
個人的には裁判員制度に問題があることは感じていたし、国民が主権者として司法に参加するために、「陪審制度」をという主張は理解できるが、それで「冤罪」が完全になくなるとは思えない(現在より割合が低下する確率は高いと思うが…)。
むしろ、何よりも現在急がれるのは、不当な取り調べを止め、すべての証拠が開示されることであろう。本書でも取り上げられた富山での冤罪事件は、検察が被告のアリバイの証拠を開示していれば防げていた(もし意図的にその証拠を開示しなかったのであれば、“でっちあげ”である)。おそらく、類似のケースもあるような気がする。
残念なのは、新聞連載という制約上や仕方がないのだろうが、裁判官への批判などを含め、同じことが幾度も出てくる。また、表現などは簡潔で読みやすい半面、どうしても切れ切れの印象が残る。連載終了から刊行まで1年間が経過していることを考えると、もう少し、整理してスッキリさせるべきではなかったかと思う。
余談を一つ。
「冤罪」の恐ろしさは、無罪の人間を有罪にしてしまうこと、本来の犯人を野放しにしているということの二つがある。後者の点について考えたとき、冤罪は犯罪被害者やその家族にとっても重大な「司法の犯罪」である。