右翼とは言いながら「テロより言論」「愛国心は押し付けてはならない」「左翼と共闘」という姿勢を貫く著者。
愛国者は信用できるか (講談社現代新書)ではその主張に共感を得たが、武闘派であった著者がなぜそこまで心変わりしたのかは、あまり詳細に語られていなかった。しかし、本書では、右翼の歴史と関係人物の思想から学んだことや、過去様々な大物右翼から個人的親友までとの交流による体験から、いかにしてそれらが血肉となり吸収され、現在の著者の立ち位置を形つくったかが示されている。そういう意味では、「右翼は言論の敵か」というタイトルより、著者の精神史の著作といえる仕上がりだ。
右翼と左翼は、全くの正反対的主張が続いてきたのか、そうではない。特に戦前の右翼思想は、左翼と相通じる部分があった。貧富の拡大からくる「資本主義批判」、一君万民を理想として推し進める「天皇アナキズム」など、「反共」「親米」の枠にほぼ収まった戦後右翼と真逆だ。もちろん過激なテロが時に横行した事実があるにせよ、こういった思想を「反貧困と右翼思想」とうまいタイトルでまとめている。とそれは同時に、「新右翼」という戦後右翼からの脱却を目指す著者なりの強い愛国心の発露でもある。私もその視点は共感できる。また「運動の延長として暴力も必要と思っているのに、それに慣れると、暴力の行使そのものが楽しくなってくる」や運動のための金集めが、金集めのための運動に逆転するときがあるといった本音を言えるのは、著者ならではと言えるし、なんとなく活動の実態が見えてきて興味深い。
著者にはこれからも多様な角度から、右翼の歴史と人物を取り上げて論じてもらいたい。それは頭ごなしに否定されないための右翼の生き残る道でもあり、思想界全体を活性化させるものであるからだ。