同じタイミングで「志ん生の右手」というエッセイを読みました。落語は誰を聴くかが大事であるという時代が確かにあった、うまい落語家は増えたがおもしろい落語家は減っている、などの記述にへぇと思いました。クラシック音楽でも同じ楽曲を演奏家の違いで楽しむ部分がありますから似たようなことなのかなぁ、と。
初めて聴く噺(咄?)ばかりでした。「後生うなぎ」などはともすると残酷な描写だと思うのですがその手前でユーモラスに聴かせていただいた感じです。「火焔太鼓」のオチ(サゲ?)にさしかかるあたりの道具屋のご主人のつんのめるような話し方などはそれだけでおかしくておかしくて。
志ん生師匠でほかのCDもすこしずつ聴いていこうと思っています。