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古事記と日本書紀 (講談社現代新書)
 
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古事記と日本書紀 (講談社現代新書) [新書]

神野志 隆光
5つ星のうち 4.2  レビューをすべて見る (5件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

出版社/著者からの内容紹介

古事記では死んで黄泉に行くイザナミが日本書紀では死なない──両者を別の神話として読む画期的論考

【古代天皇神話】──『古事記』『日本書紀』において、神話は、天皇の物語の1部であった。それは天皇神話というべきなのである。「古代神話」とか、「日本神話」とかいうのは正しくない。まず、『古事記』でも『日本書紀』でも人間のはじまりについて語ることがないということに、きっかけをもとめてはじめよう。世界としての成り立ちを語るのは、イザナキ・イザナミの国作りの話である。イザナキ・イザナミが男女として交わって、「大八島」の島々や、海・風・木・山・野等の神を生む。二神が生むというかたちで、国土とさまざまな自然的要素の出現を語るのであり、まさに世界の生成を語るものである。話の筋だてからいえば、『古事記』も『日本書紀』もほぼ同じだが、いすれにせよ、そのイザナキ・イザナミの話のなかで人間のはじまりについて語ることはないのである。──本書より

内容(「BOOK」データベースより)

古事記では死んで黄泉に行くイザナミが日本書紀では死なない―両者を別の神話として読む画期的論考。

登録情報

  • 新書: 212ページ
  • 出版社: 講談社 (1999/1/20)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4061494368
  • ISBN-13: 978-4061494367
  • 発売日: 1999/1/20
  • 商品の寸法: 17.8 x 10.8 x 1.4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.2  レビューをすべて見る (5件のカスタマーレビュー)
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形式:新書
 文学者による日本神話の読み解き方は、神話学者とは異なるという好例。なぜ異なるかというと、文学者は『古事記』『日本書紀』をそれぞれ異なる別個の作品として読むことから始めるからであり、神話学者のように、それぞれを同一の神話体系に属するものであるかのように扱い、自説に都合の良い部分だけを切り取って集めて論じたりする、という手法はとらないからである。いわゆる「作品論」と呼ばれるもの(なんでしょう、多分)で、神話がそれぞれの作品の中でどのように位置づけられているか、編纂者の意図はどこにあるか、あるいは、時代によって『古事記』『日本書紀』はどのように捉えられ、解釈されてきたか、という考え方になる。これだけを見ても従来の神話学者の手法とは異なる、というよりは対極に位置していることがわかる。一方は作品内、もしくは作品間で問い、一方は神話そのものの細部で問うのである。この作品論は、その性質ゆえか、研究者の間では不評らしい。しかし、どちらが優れているかという議論はさておき、第三者の目から客観的に見れば、それぞれ意味のあることだと感じる。なぜならばお互いに補完しあう関係にあると思うからだ。

 しかし正直言って、文学者の考え方って面白い。少なくともこの本を読むまで『古事記』神話と『日本書紀』神話が別モノだなんて考えもしなかった。著者が述べるように、『古事記』で死ぬはずのイザナミは、『日本書紀』本文では死んだなどとは一言も述べられていない。この致命的差異はどこから来るのか。少なくとも従来の神話学者には答えられない問題だろう。また『古事記』神話の世界観と『日本書紀』神話の世界観の比較、また平安時代の研究者が異なる神話をどのように統合を試みたかなど、著者の論点は興味深い。観必然的に、作品論が神話研究に与える貢献度は大きいという結論になるのではないだろうか。

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形式:新書
読みやすい、意欲的な好著。古事記と日本書紀をテキストそのものとして読む試み。古事記と日本書紀は同一起源の「日本神話」を描くものとされてきた。時代によってどちらを優先するか、という問題はあった。だが、記紀を一つの「日本神話」を描くものとして読むことは、時代を通じて行われてきた。それは、日本人の由来が何なのか、天皇制の根拠は何かといった、日本(国家)のアイデンティティーを構成する問題だったのだ。

著者は、この一つの「日本神話」としての読解から記紀を解き放つ。そして、記紀そのものを読もうとする。すると見えてくるのは、古事記と日本書紀で神話的記述が大きく異なることである。その背後には、それぞれのまったく異なる「世界観」がある、と著者は読む。つまり、記紀は同じ一つの神話を異なって描いているのではない。それぞれ別個の神話、つまり「テキストにおいて成り立つ神話」(p.137)を描いているのである。

本書はまず、同一起源の神話という像を探っていく。最初に本居宣長が印象的に引き出される。彼は、日本書紀ではなく古事記に日本人の心を求めた。それも、古事記そのものではなく、古事記の起源となる日本神話である。こうして本居宣長は、日本神話を古事記に定位させる。ということは逆に、中世では日本書紀に日本神話が定位していたのだ。それはどのようにしてか、著者は描いていく。それは、日本・中国・インド、すなわち神道・儒教/道教・仏教を統一するという世界像の元にあったのだ。

これら記紀の歴史的読解に続いて、著者はいよいよ記紀そのものの読解に至る。ここは非常にスリリングで面白い。古事記ではイザナキ・イザナミの国土創造に、その上位の神ムスヒたちが関わる。ところが、日本書紀では国土創造はイザナキ・イザナミの自発的な共同作業となっているのだ。著者の記紀読解は非常にクリアであり、古事記と日本書紀の数々の相違について明らかにしてくれる。

記紀そのものの読解の後は、再び同一起源の「日本神話」について。この「日本神話」という考えがどう生まれてきたのか。著者はたとえば記紀から100年も経ていない『古語拾遺』を参照する。ここで早くも、古事記と日本書紀を同一の神話を描いたものとして「読み替える」作業が行われている。著者によれば、その後の記紀読解の歴史は、こうした時代時代での記紀の「読み替え」の歴史なのだ。それは、近現代でも変わらない。戦時期イデオロギーを支えた記紀読解。そしてイデオロギーから解放されたはずの現代の研究でも、一つの日本神話という考えが生きていることが確認される。

さて、確かに著者の意欲は素晴らしい。同一の起源を求める動機から記紀を解放し、それぞれ独自のテキストとして読むこと。もともと一つの神話があったのだとして求めたとしても、それは「研究が作り出した新しい神話」(p.205)なのだと著者は批判する。だが、記紀を別々に読解することにはやはり疑念が浮かんでしまう。この二つが描く神話は、もちろん大きな違いがあるとはいえ、あまりに似すぎているのだ。大筋のストーリも同じ。なにより、登場する神々の名前すら同じである。起源を推定するほうが素直な読みとも言える。このような著者の読解に向けられるべき問いは、記紀の起源に関するものだ。古事記や日本書紀がどのような意図の下、どのような状況の下、成立したのか。本書には、記紀そのものの起源に関する話は欠如している。旧来の記紀読解への批判のあまり、やや行き過ぎている感を覚える。

本書の叙述はきわめて平易。古文を扱う本としてはかなり読みやすい。叙述において時代が前後するが、最後に明快にまとめられているので問題はない。著者の問題意識や意気込みが強く伝わってくる本である。多くの人に勧められる。
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形式:新書
 本書は『古事記』と『日本書紀』に述べられている神話の筋を詳しく説明する、というような本ではない。『古事記』と『日本書紀』に述べられている神話の比較を通して、もともと二つは異なる神話であることを説明していくものである。

 構成としては、まず本居宣長の『古事記』解釈についての章からはじまり、次に『日本書紀纂疏』などを通じて中世における『日本書紀』の受容のかたちが説明され、それから『古事記』『日本書紀』自体(原文)にあたっての読解が進められ、それらがひとつの神話から生まれたものではなく元々は別々の神話であったことが説明されていく。最後に、近現代における『古事記』『日本書紀』の受容のされかたについて述べられている。

 『古事記』『日本書紀』解釈は「ひとつの神話」がある事を前提とした上で行われてきたがために混乱が多々生じてきたし、解釈に無理が生まれたのだ、と説く著者の説明は素人目には説得力があるように思えるし、面白い。しかし、記紀についてほとんど予備知識を持たない私からすれば、本書だけを読んだだけで、ほんとうに「ひとつの神話」を想定することが間違いであるのかどうかについて完全に納得はできなかった。

 以上のように「これまで当たり前とされてきた受け入れられ方」(ひとつの日本神話としての記紀神話)を否定するのが本書のテーマでなのであるが、「これまで当たり前とされてきた受け入れられ方」を十分に把握していない私としては、それほど大きい驚きではなかった。反対に、記紀神話というものに強い関心を抱いており、知識をもっているものからすれば大きな驚きになるのではないだろうか。

 『古事記と日本書紀』という、一見入門書的な感じの題名と、新書としての書物形態を考えると本書は専門性が少々高めかもと思う。本書で否定されている「記紀神話」には、1000年以上にわたって厳然たる事実として受容されて理解されてきたという動かしがたい事実があることは間違いないわけであり、そういった記紀神話としての『古事記』『日本書紀』解釈とか受け入れられ方についてももっと説明や身近な話題がほしい、とおもう読者も多いのではないか、とも思った。
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