今年出版界の一大ニュースといえば、村上春樹による久々の長編小説『1Q84』
の1と2が発売され、とてつもないヒットをたたき出したということだろう。驚くべき
はもう一つあり、小説の出版からわずか数ヶ月で当の作品を分析・批評する単
行本が何冊も発売されたのだ。それは意味するのはおそらく、日本の春樹読者
が春樹作品を欲していると同時に、春樹作品を「解釈してくれる言葉」をも欲して
いるということなのだろう。
このような春樹作品の「二重の需要」の背景には、あるイデオロギーともいえる
固定観念が棲みついている。それは、作品とは内容であり形式とはその内容
を伝えるための、いわば受け皿に過ぎないということ。したがって我々読者は対
峙する作 品の内容、つまり意味を即座に解釈しなければならない。これは至極
当然のよ うに社会で受け入れられていることだが本当にそうか。ソンタグの小論
「反解釈」 が投げかけるのはそんなラディカルな疑問だ。
著者が非難する解釈とはつまり、あの棒はペニスを象徴し、あの箱は女性の…
というようにあらゆる小説内存在を単一の物語に読み解いていく、いわゆる「翻
訳」に似ている。彼女の批判の矛先には当然、俗流精神分析的な批評やマルク
ス主義的批評があるのだろう。
ソンタグが上のようなことを主張して早半世紀が経とうとしているが、冒頭で述べ
たとおり我々は今だ、解釈の病に罹患している。そしてそれこそが、知性の今だ
果たせずにいる世界への「復讐」なのだろう。作品を考えることから感じることへ、
芸術鑑賞を頭を使う作業から官能の経験へ。
これを読むか読まないかで、美術鑑賞の視野は決定的にちがってくるのかもし
れない。