日本で一般大衆まで広くポストモダンという言葉とその概念を知らしめるに至ったのは、東浩紀『
動物化するポストモダン』であると思われるが、本書は今から約20年前(評者の生まれた頃!!)にものされたものでありながら、未だ出口の見えないこの時代を語るに足りる、明瞭なポストモダン論だ。
本書は、単線的な近代の物語が失効した以降のポストモダンの時代への哲学、建築、彫刻、絵画、消費社会、コミュニケーションなどといった、多角的な視点からのアプローチを試みる。論者は序文のハル・フォスターに始まり、「近代 未完のプロジェクト」のハーバマス、F・ジェームソンやサイード、ボード・リャールまで、各方面のビッグネームがそろっている。
冒頭で述べた通り本書の議論は、「ポストモダン論」のその亜流が未だに繰り返される現代においても、十分適用できる。いやむしろ、今この本を読むと、現在まことしやかに叫ばれていることがすでに20数年前から大抵は言われていたということに気付く。そのことこそが、ポストモダンの特徴である「歴史感覚の喪失」(吉岡)の証左だと思えば、さもありなんというところか。本書からさらに約15年たってようやく、東が日本における大きな物語“以後”を、データベース(=大きな非物語)として定式化することになる。しかし―日本にはそもそも“近代”がなかったという見解を差し引いても―あくまであれは日本特有の「ポストモダン」であって、ポストモダンについての認識をより広くより深くするためには是非とも読んでおきたい重要参考文献の一冊になるだろう(なのに文庫にされてないのが不思議な話だ)。
本書によると、ポストモダニズムとはいえ一緒くたにできず、現状に居直る「反動のポストモダニズム」と、そこからの打開策を模索する「抵抗のモダニズム」に大別できるらしい。日本における前者の担い手といえば、萌えのデータベースの中を浮遊しつづける「オタク」のイメージがすぐさま思い浮かぶだろう。では問題の後者は誰か。残念ながら、我々は「抵抗のモダニズム」に未だ出会ってはいない。評者としては、このどん詰まりの時代のなかから、その倦怠感に耐えかねた「抵抗」が、何らかの形で生まれることを期待したい。
巻末掲載の室井、吉岡両訳者による「ちょっと変わった」解説も、ポストモダンとポストモダニズムを的確にとらえており必読。