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4 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
反秀才とは・・,
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レビュー対象商品: 反秀才論 (岩波現代文庫) (文庫)
「秀才」「天才」という単語は一般的に有名な単語であるが、その定義、基準は結構あいまいなものである。その中で「反秀才」となると、どんなものなのかとても想像が膨らむ。 「天才」の反対は一般的に「バカ」なのかと思いがちだがこの本の中に出てくる反秀才達は違う。 反秀才たちは力強い情熱を持っており、その情熱を一途にも持ちつづけ、時には素晴らしい根気で時代を変えていった人達である。 天才というものの凄さをも語った非常に興味の持てる本である。
3 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
自分は秀才なのか反秀才なのか,
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レビュー対象商品: 反秀才論 (岩波現代文庫) (文庫)
当方は反秀才です。この本を読むと、自分は秀才なのか反秀才(天才と呼称する人もいるが)なのかわかると思います。 もし、何が言いたいのかよくわからなかったなら、あなたは秀才です。 寺田寅彦 “科学者とあたま”とおんなじような感じです。 基本的に、反秀才は秀才の思考過程を理解できますが、逆は多分むずかしいのでは。 書き方も反秀才的に書いてあるので、おそらく秀才は読後に、 “著者が何が言いたいのかよくわからない”となり、見当外れの解 釈・要約をはじめると思われ、実際にコメントの多くはそうなっています。 実際問題としては、自分が秀才・反秀才を把握する事は、 自分がどの職業につくかを考える上で非常に重要です。 (反秀才は医師・公務員に向かないし、秀才は芸術家・演奏者に向かない) ですので、比較的早い時期に読むと、人生プランを考える上で有用だと思います。
3 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
その国民性、伝統文化、歴史性、自然条件、を考える,
By 時代錯誤 "山水" (栃木県) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 反秀才論 (岩波現代文庫) (文庫)
著者がテーマとして取り上げた「反秀才」とは、幾分、自閉性のある異常なる集中力の才能を言うのだろうと思います。アスペルガー症候群には、こういう異能の才能を備えた人が見られると謂われています。この様な人は、国籍に拠らず、あらゆる国に均等に分布しているのは、ごく自然な現象なのです。但し、それが顕在化するかどうかは、その国の社会や国民性に大きく係わってくる。許容性のごく狭い文化は、例えば日本国ですが、その様な人に対する、侮蔑と排他を繰り返します。一般に精神的文化というものは、社会のあり方に、大きく影響を受ける事は論を待たず、その文化の本質を規定する上でも重要性を持つものです。では、「秀才」とは、どの様な才能を指しているのでしょう?一般人と比較して、勿論優秀な知能を持つ事を指します。例えば、「教わる事の理解が早い」、「相手の言おうとしている事を半分聞いただけで、全体と核心を悟ってしまう」、「物事の本質を素早く把握する」、「教わる事はごく得意で新しい物を作り出すよりは、仕上げる事が得意」また「教わる事を丸呑みして効率良く吐き出す」のが従来の「秀才」と言うものであるとすると、ここで、取り上げられた「反秀才」は、いわゆる「異能の才」を言うのだろうと思います。異能の才は、理解が遅い、簡単には分かったとは謂わない。然し、秀才が達し得ないほど、「深い部分まで」行くことが出来る。思いも付かぬ事を創造するなど。 日本の国民性は、教育に関しても社会に関しても、本質的な「理念」と「価値観」と、物事の「客観性」を持たずに、ただ「左・右に習え」ですから、出来るだけ目立た無く、仲間の中に溶け込んで行動したり、暮らしたりする事が、生活して行くには、一番無難な方法ですので、枠からはみ出てしまう様な、飛び抜けた「異能の才」でない限り、自律的才を伸ばすのは、困難な事でしょう。 長い鎖国と島国という条件が、「足を引っ張り」「出る釘は打つ」という日本人の国民性を作り上げたとするならば、それは不幸であるが、其れなりの理由があるのでしょう。「風土」や「鎖国ー日本の悲劇」を、お書きに成られた和辻哲郎先生の考察が、正しいかどうかは分かりませんが、それも一つの結論といえます。日本の文化は自閉的だと言うのも、それなりの理由が在る訳です。開国して未だ140年くらいしか経っていないので、国民性まで変わるには、時間が足らない。島国とは言っても英国はどうでしょう?でも、英国は今でも階級社会ですから、敗戦後の日本とは状況が異なります。ドーバーは泳いで渡れるほどですから、大陸とは、日本ほど隔てられては居ない。 自閉的文化と言っても、「絵画」や「工芸」など、職人の芸は日本独自の高度な域に達していました。また、「和算」も非常に高度なものですが、これ等は、すべて「芸」というカテゴリーで括れるものでした。体系的な自然科学は日本では、なぜ、発生しなかったか?これは、日本人の価値観と自然観に由来しているのでしょう。数量化された自然認識の欠如、この辺の答が、「反秀才」が、日本で育つかどうかの条件と重なるのではないでしょうか。
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