本文は実質75頁でその他の特徴は既に他の方に言われている通り。友情論自体は徳を重んじる非常に立派なもので事によると我々俗人には荷が重い。頭が固いとも言えるがどこか理想主義的で熱い、妙な言い方をすれば青臭さすら感じる程にピュアな友情論が展開される。(哲学の古典は実はしばしばこのような熱さを備えている)ちなみに上記は褒め言葉である。
キケロは現実主義的な、あるいは功利主義的な冷めた友情論を決して認めない。例えばそこでは弱さと欠如のために求められる友情や、自分が出来ない事をしてもらい自分もお返しをするという関係としての友情は批判対象となる。我々はしばしばこのような関係を友情と呼んではいまいか。だがキケロにとってはこれは本当の友情ではない。本当の友情はもっとこう人間の、互いの本性に基づいたものなのだ。以下読点など細かい改変はあるがアバウトに引用する。
「人によっては友情より富を、あるいは健康を、あるいは権力を、あるいは名誉を優先するし快楽を優先する者も多い。最後のものは獣のする事だ。その前に挙げたものも気まぐれな運に左右される移ろいやすく不確かなものだ。それに反して徳の中に最高善を見る人は立派であるが、まさにこの徳が友情を生みかつ保ち、徳なくしては友情は決して存在しえないのである」(25)「友人同士の好意の中に安らぎを見出さない人生がどうして生きるに値する人生たりえようか」(26)「いつか敵になるかもしれないと思う人とどうして友達になれようか」(54)「友情に値する者とは愛される理由を備えている人である」(66)「それなのに大方の人は善きものといえば利益をもたらすものしか思いつかず、友人も家畜を見るのと同じで、最大の利益を得られそうな人を最優先で愛する」(66)「真の友人とは第二の自己のようなものである」(67)「愛してしまってから判断するのではなく判断してから愛さなければならない」(69)「それなくしては友情もありえぬ徳を尊び、徳以外に友情に勝るものはない」(84)
熱い・・・
そして良くも悪くも、どこか単純でもある。
我々はこういったキケロの友情論に全面的に賛同する必要はない。本書は一方的に自分の友情論だけを語るのではなく他人の友情論を持ち出してそれを批判する事で自説を展開するという形であるため、存在しうる多様な友情論に触れる事が出来るが我々は別にキケロに批判される立場の肩を持ってもいいのだ。だがその場合にも本書は考えるきっかけとして良き役目を果たすだろう。