本書は西部氏の自伝であり、親友である海野治夫氏の評伝でもある。西部氏は次のように語っている。「『海野治夫とその時代』を語ることを通じて私自身の過去を解剖する、そうすることによって二人の交友がなんであったかを明らかにする、それが本書の狙いである。」(p.22)
海野氏は朝鮮人の父と日本人の母との間に生まれ、凄まじい極貧の中で少年期を過ごした後にヤクザとなるが、仁義なき世界への抗議と絶望のため、或いは自らの引き起こしてしまったある事件へのケジメをつけるために60にして壮絶な自裁を遂げる。しかし西部氏によるその描出は海野氏を「不運な人生を送ったが義理人情に厚いヤクザ」というような陳腐でありがちな型にはめるものでは決してなく、鎮魂を込めて一人の人間としての彼を活写したものである。
本書は保守思想に根ざした人生論であるとも私は感じたが、西部氏とは思想的な立場を異にするであろう人にも好評であったらしく、たとえば在日作家の呉文子氏はTOKYO MXの『西部邁ゼミナール』に出演した際「私の抱いていた西部先生の印象とは違う側面を拝見しました」と言いながら絶賛していた。一つのノンフィクション文学作品としてもおすすめできる一冊である。