知らない人は全く知らない。要するに、香港映画に興味がない映画ファンは「レザボア・ドッグス」のルーツ(というか元ネタ)が本作「友は風の彼方に」だという事を、未だに知らないのだ。
タランティーノが「レザボア〜」で衝撃のデビューを飾った時、多くの映画評論家たちが、様々な映画からの引用を指摘した。キューブリックの「現金に体を張れ」なんかもその一つだし、例えばヴェンダースの「ハメット」からもそのまんま会話をパクッているシーンがあり、女ギャング・アラバマの噂話をしているシーンがそうだ。「アラバマ」の名前までそのままというのはどうかと思うのだが、ギャングたちがマドンナの歌の解釈について延々と言い合うシーンも、チャールズ・ウィルフォードの小説「危険なやつら」の中で、犯罪者たちが仕事に出かける前に、延々とヨタ話をするシーンにそっくり。この小説には、間違えて仲間の頭を銃でぶっ飛ばしてしまうブラックなシーンもあり、これは「パルプ・フィクション」でパクッている。タランティーノ映画のネタ本なのだ。
ちょっと脱線してしまったが、いわゆる映画評論家の先生方は香港映画などのB級作品を観ないので、細かい引用は指摘しつつも、実は「レザボア〜」は「友は風の彼方に」をほとんどそのままパクッたシロモノだった、という事は指摘できなかったのである。
確かに、本作と「レザボア〜」を見比べてみると、ストーリーと設定はほとんど同じながら「友は〜」のストーリー展開は直球で、「レザボア〜」は色々なひねりを加えてあり「オリジナル」より面白く感じるかもしれない(それはあくまでポップな面白さ、なのだが)。しかしタランティーノ映画は、言ってみれば「技巧」の面白さである。意外と、人間ドラマの奥深さはなかったりする、のである。
「友は風の彼方に」を、潜入捜査官の心理をじっくりと描いた作品、と捉えるか「退屈」な作品と捉えるかは、もう個人の好みの判断、なのだと思う。しかし、2挺拳銃でパトカーの警察官を真正面から蜂の巣にするシーンや、ラストの有名な3つ巴の睨み合いのシーンまで、ここまであからさまに盗用してしまって、よく監督のリンゴ・ラムはタランティーノを訴えなかったものだ、と思う。
まあ、本作では睨み合いの後は結局誰も撃たないのだが、「もし全員が撃ったら、どんなことになっただろう?」というオタッキーな妄想を実現してしまったのが「レザボア・ドッグス」だったわけである。
とにかく、ひとつだけ確かに言える事は「友は風の彼方に」が存在しなかったら「レザボア・ドッグス」がこの世に誕生する事は決してなかった、という事である。
それだけでも、この作品の価値は計り知れない、と思うのだが?