ネットとケータイの爆発的な普及によって、コミュニケーションプラットフォームは多層化した。目の前の恋人がミクシィで自分をなじっていないとは、だれも証明できないのだ。本書は、学校や企業といった気心の知れたはずの共同体の中で、ネットを介して広まっていくウワサ、そしてそれがもとで起こるいじめや嫌がらせに焦点を当てている。
本書はまず子供の事例と大人の事例を紹介、それらをもとに、ネットを介して広まるウワサについてのメカニズムを解き明かす。さらにだれがウワサを流すのか、はたまたもし自分がウワサの標的になったとき、またわが子がそうなってしまったときの冷静な対処法なども提示する。この手の本をよく読む読者にとっては、よくいえば「お馴染みの」、口悪く言えば目新しいところはさしてない内容かもしれない。
子供のいじめや根も葉もないウワサの発信に「理由がない」というのはよく聞く話だが(『
友だち地獄』など参照のこと)、そんなことからさっさと「卒業」しろよという大人社会でウワサがはびこるその背景には、それとはまた別のウワサをもみ消すという理由があるというのは興味深い。つまり、流れているウワサは囮ということ。検察のやってるようなことは、実はだれでもやりえるというわけだ。
なるほど著者は、ゼロトレランスでネットを介したウワサもイジメもバンバンとりしまるより、現実とネット双方に「いじめの起きない土壌」を作ることが肝要だと論じる。たしかにそれはそうなのだけれど、現実問題としてその「土壌改善」が見込めないのならば、フィルタリングやそもそも子供にケータイを持たせないなど、「制度設計」の側面から変えてないとと思われても仕方ないのかもしれない。