長唄なんかじゃないよ。日本かるた院の鈴山葵先生の朗唱で、きちんとした競技カルタの読み方に従っている。ガキに媚びた変なアニメ声なんかではないが、うちの子は、この独特の古風な雰囲気がむしろえらく気に入って、すぐに覚えてしまったぞ。
それにしても、競技かるたの歴史はドロドロ。もともとそんなに伝統があるものでもない。実質的には、二十世紀になってからだ。それも、いろいろな組織団体が派閥争いと合従連衡を繰り返し。そんな中で、鈴山透が圧倒的に強かった。戦後、現代仮名遣いの新制かるたを便法として組織一本化が政治的に画策され、勝敗よりもあくまで雅を尊ぶ鈴山は孤立していく。だが、その彼こそが、なにしろ強いのだ。全日本かるた協会主催の競技でも、彼が鮮やかに名人位を取ってしまう。八坂神社のかるた始めも、彼の日本かるた院の奉納によるもので、札を飛ばすような下品な払い手は禁じられている。
鈴山葵は、鈴山透の奥方。高齢ながら、夫の遺志を伝えるべく、精力的に活動している。ニュースで見る1月3日のかるた始めの読み手は、いまも葵先生にほかならない。この文永堂のベストセラーが、CDの朗唱にあえて日本かるた院の鈴山葵を選んだのは、この本の趣旨趣向に沿っており、まさに慧眼だ。世の中は、ただすばやく、ただ勝てばよいというものではあるまい。かるたは札ではない。歌だ。その歌を知る心があってこそだ。ただ試験のために暗記するとか、ただ競技のために練習するとかではなく、王朝の風格としての百人一首を、その朗唱とともに味わおう。