タレント文化人筆刀両断が代表作である著者の面目躍如の企画。東日本大震災、原発事故後に、週刊金曜日4月25日号、増刊の「原発震災」、サンデー毎日、財界展望などへの寄稿を再構成し加筆し、それまでの著者の原発関連記事とあわせたもの。
お得意の実名を上げての原発を宣伝した文化人、知識人などの批判の再録だが、週刊金曜日の増刊などの初出記事を知る人は、そこで挙げられていた「原発文化人」から森山良子氏とC.W.ニコル氏の名が消えているので不審に思ったのではないか?実際、森山氏には「原発おばさん」と名指しして質問状まで送りつけていたが、その根拠が薄いことを読者に指摘されていた。そしてC.W.ニコル氏には強く抗議されたものの佐高氏は開き直りと取られるコメントを「金曜日」に寄せていた。今回あっさりと「撤回」したわけだが、佐高信氏はその理由をきちんと読者に説明する必要があるだろう。
原発文化人を斬り捨てている佐高氏は、東電の歴史を述べた第3章の中で、福島出身で福島第一、第二原発の設置を推し進めた第4代社長の木川田一隆氏を異常なほどに持ち上げている。その理由は「企業の社会的責任」を明確に宣言し実践したこと、市川房枝氏に批判されての政党への献金の廃止等である。そして木川田のような哲人経営者なら高木仁三郎氏や広瀬隆氏らの原発批判派と議論したであろうとして東電は木川田精神を取り戻せと主張する。
しかし事実は、東電は企業献金を廃止したものの、役員の個人的政治献金やパーティ券買いなどは続けた、また「東電帝国、その失敗の本質」によるとは大新聞から人物を電事連に引き抜き当書の主題たる東電の原子力報道支配構造をつくったのは木川田氏であった。そして昭和女子大の木下武男教授により木川田体制の東電が社員リスク保護の名の下に原発などの危険業務を下請け、孫請け化していったことも明らかになっている。佐高氏も指摘している9電力体制成立前後には強固な組合であった電産(日本電気産業労働組合)の弱体化、壊滅を佐々木良作氏と阿吽の呼吸で成し遂げたのも木川田氏である。今日を招いたことについてホットスポットとなった伊達町出身の木川田氏は功罪ある経営者といわざるをえない。
また佐高氏の木川田論は彼自身が原発文化人と批判している田原総一朗氏が書いた絶版中の書「ドキュメント東京電力企画室」の影響が大きいことを指摘しなければならない。木川田氏が原発反対論から推進に急転回した理由を佐高氏は田原氏の取材の結果と同じく国家管理への抵抗と想定する。だが田原氏は木川田氏は国家や当時の通産省との対決姿勢を途中で融和、協調姿勢に変更したと言い、平岩外四氏の後継指名はその証左の一つであるということを報告する。木川田氏はよいが後継者が駄目だという佐高氏の結論との大きな違いを見せている。
川端幹人氏、佐々木奎一氏らの東電批判をあわせて読むことがお勧め。