原発問題となると、推進か反原発か、立場によって、議論は水と油のように、はっきりと分かれてしまう。まともな議論が成り立たない。推進派の人は、原発の必要と推進を説く論にしか耳を傾けないし、反原発の人はその陣営の論を聴き、ますます共感を深め、推進論をけしからんと退ける。特に福島第一原発での事故以降、両者の見解の隔たりは深まるばかりだ。
そこに「経済学者」が登場。事故とそれをもたらした技術的・社会的原因がどこにあるかを、詳細に、現実に即して、鮮やかに分析してみせている。ほう、経済学者には、こんな腕があるのかと、心底感心して読んだ。原発と関連事業を、また損害賠償と炉の後始末というマイナス面を、今後どうやっていくべきかについては、経済学者ならではの視点で、大胆な提言がなされているのはもちろんである。
事故後、雨後の筍のごとく、数多の原発本が、新刊・復刊・増刊された中で、新しい視点を提案してくれた点で、また、これだけ原発に関わってしまった責任を真摯に受け止めつつ書かれている点で、秀逸な一点と言えよう。原発の当事者でないからといっても、この社会の構成員として責任は免れがたいと、事故後、事実を詳細に追い、今後どうすべきかを考え続けたその結晶が披瀝されている。
経済学と銘打っているが、この本の前半分は、事故の詳細な分析に当てられている。原子力関係者の説明は、専門的でありすぎたり、あるいは立場に偏りすぎたり、専門性にこだわるあまり専門外のこと即ち全体が見えていない恨みがある。これに対し著者は、専門外にしてよくぞここまで調べかつ的確に見通したものだと感心するほど、この事故の細部と全体像を、分かりやすい言葉で解き明かしてくれている。
前半は、一般の読者にとって、原発事故について、これまで目にしたどの報告書、論文より、優れてまとまりがよく、読みやすい解説書となっている。それが成功しているのは、情報を見分け、現場に密着し、細部を逃さず見届け、専門外ゆえに未知・未経験のことにも、できる限りの「手触り感」を探ろうとしている観察者・診察者なるがゆえだろうか。経済学者に、こんな現場意識があるのかと感心する。経済学者というと、数理経済理論を振りかざし、高みにいて現実をバッサリ切る人、という先入観を持ちすぎている評者の偏見かもしれない。医学が病理や検査だけでなり立つはずはない。むしろ、臨床医が患者に直に対面して、あらゆる兆候を見通し、evidenceを総合的に判断して、真の病因を突き止める、それが医学の現場だろう。それと同じことをする経済学者がいてもおかしくない。「臨床経済学」とでもいうべき実例がこの書である。
事故の経緯を見るに当たって、経済学者の眼は「東電経営者は、炉心溶融を回避することができたか」に向けられる。地震・津波に対する炉の安全に関して、事前に何度かの警告が発せられていた。それを軽視して対策をとらなかった。事故が始まったあとも、事故の拡大を阻止する果断な判断を躊躇した(ベントや海水注入)。その点で民間企業としての経営責任を厳しく問うている。その責任追及は、投資家にも金融機関にも向けられるし、リスクを当然覚悟して引き受けるべきであったと、地元自治体にも地域居住者にも向けられる。
事故の考察は、次第に事故をもたらした背景へと向けられていく。設計寿命を超えた古い、地震国日本に合わない原子炉を無理して動かしていなかったか。そして使用済み燃料という呪縛。そこで著者は、核燃料サイクルと高速増殖炉なるものが、決して夢のあるものでなく、原発を経済社会に、特に立地地域に受け入れやすくするためのフィクションであった、決して実現可能なものではなかったと、見抜く。
後半、今後の対策を論じる部分は著者専門の経済学の出番である。そこでも、現実を現実的に見ていくという著者の視点は一貫している。安易に脱原発すればいいとはいかない。脱原発自体が莫大な資金と時間を要する大プロジェクトである。すでに存在してしまった54基の原発と、すでに産み出され、これからも出てくる使用済み燃料の後始末をつけるという、何世代もかかるプロジェクトである。資金も人的資源も必要だ。
著者は、意外にも(私には)原発を動かし続け、それを収益プロジェクトとして維持しないことには、この撤退プロジェクトすら成り立たないと見る。詳細は本書に譲るが、今後の対応として、民間で本来やるべきこと(損害賠償の支払い)をきちんと行うため、民間でどうにかできること(軽水炉発電の維持)が必要とする。そして、福島原発の後始末(それを著者は「フクシマ再生プロジェクト」と提案している)は、国家としてやるべきものと考える。また、その前提として、再処理・高速増殖炉からの撤退を、国家が電力会社とともにやらざるをえまいとしている。その際、使用済み燃料については「全量地上貯蔵」が唯一の解だと見ている。
福島原発事故があれだけの規模の被災・避難をもたらした事故直後に、事故原因の解明も廃炉処理の見通しも立たない段階で、原発を動かし続けることを社会が受け容れるか、私は疑問を持つ。これについて著者は、市民社会がリスクをもっと合理的に議論し、受け容れ、「原発とうまく付き合っていけるかどうかにかかっている」としている。
事故の原因究明、そして原発と関連事業の今後についてどう考えるか。これは、ポスト3.11の日本社会に責任を持って生きようとするすべての人にとって、避けることのできない問題である。本書はその問題を考えるため、広範な問題に最良のヒントを用意してくれた。著者の処方箋に賛成するにしても、反対するにしても、現実的で実りのある議論が、ここから展開されることが期待される。
なお、著者は再生可能エネルギーへの転換問題に、禁欲的かと疑うほど、全く触れていない。私はそこまで含めないと、問題の解は得られないと考える。この著書の延長線上で、お考えを伺いたいものだ。