本書冒頭で著者は言います。
「いまのわたしの最大の関心事は、大事故が発生する前に、日本が原発からの撤退を完了しているかどうか。
つまり、すべての原発が休止するまでに大事故に遭わないですむかどうかである。
大事故が発生してから、やはり原発はやめよう、というのでは、あたかも二度も原爆を落とされてから、
ようやく敗戦を認めたのとおなじ最悪の選択である」
このたび国内最悪の福島原発事故が起きました。
おそらくこれで日本は今後原発を建設することはないでしょう。
しかし、これは上でいう、大事故が発生してしまってからの
「最悪の選択」
となりました。
日本全国の原発地帯を取材しての著者の結論は、
原発は地域の民主化の最大の妨害物。
どこの原発地帯でも、ハンで押したように、議員たち有力者を飲ませ、食わせ、
住民を「先進地視察」名目の、無料の観光旅行に連れていく買収方法が踏襲されている。
つまり、説得ではなく、買収が原発の常套手段である。
それでしか建設できないのは、存在自体が危険だからである。
建設の実施は、原発がもっている目的の崇高さとか、
人間生活にとっての意味などによって、住民を説得した結果ではありません。
すべてカネの力で解決するやり方です。
日本で原発が継続される理由は、
「クリーンエネルギー」という大義名分・美辞麗句を利用して、
・官僚
・企業(原発プラントを受注する電気・重工業業界、ゼネコン)
・電力会社、電気事業連合会(電事連)
・政治家
・首長
・マスコミ
・御用学者
という、原発でおいしい思いをする関係者の癒着構造があるからです。
(原子力は二酸化炭素を排出しない点から「クリーンエネルギー」とアピールされますが、
放射性廃物を大量に排出する以上「クリーン」とは決して言えません)
石原都知事のように「天罰」という言葉は使用したくありませんが、
原料の採掘、精製、加工から最終処分まで、
そのすべての工程が、神ならぬ人間の手に余るものを、生産し続けられてきたことを
許してしまった国民も反省しなくてはいけません。
福島原発事故はまたまだ予断を許さぬ状況ですが、
これを機に代替エネルギーの拡大と電力消費の削減にむかう方向を
国民主導で進めようではありませんか。