原子力利用は軍事から出発しました。我々の現代社会を支えている技術(通信技術、GPS、レーザー技術等)の大半は軍事目的で開発され、それが民間利用されています。冷戦下で核開発が過熱しましたが、過当競争を抑制するために発電システムに取り入れられ、平和利用という美名の元、開発が進められてきました。
現在、軍事面では核は確実に世界中に拡散している(パキスタンや北朝鮮等)と捉えてよろしいかと思います。有害物質としての核(放射性物質)も度重なる核実験や、スリーマイル・チェルノブイリ・福島の事故により大量に拡散しています。皮肉ではありますが、エゴから生じる安全や利便性を追求してきた結果がこの現実です。
山岡は「はじめに」で、「福島原発事故の歴史的現実から目をそむけず、未来を透視するには、最初に扉を開いた者をしっかりと記録しておかなければならないだろう。」(P14)と記しています。本書は原発開発に政治がどのように関わり、誰が動いたのか克明に記録しています。権力者にとって、原子力開発が国の安全保障とエネルギーの双方の課題を解決する突破口に映ってしまう構図を見事に描き出しています。
第四章 権力の憧憬 魔の轍「核燃料サイクル」では「トイレの無いマンション」の汚物を青森県六ケ所村に建設することになった経緯が記されています。青森県を原子力のメッカにした元勲は何の責任も感じないのでしょうか。終章では原発翼賛体制が現在も機能していることを記しています。彼らは福島原発事故収束、原発再稼働、海外への売り込み等、様々な声を全方位から上げることでしょう。いや既に上げているのかも知れません。