第1巻も刺激的であったが、この第2巻も評者には啓発される指摘が多い。
これまで食わず嫌いであったフロイトやラカンを読もうと思わせられた。
倒錯症とヒステリー症を対比させ、これを今日の「エディプス・コンプレックスの斜陽」時代への視座とするアイデアは秀逸。
後期資本主義下の市場制度(その思想)は前者に結びつき、近代民主主義は後者に縁が深いのだという。これを逸脱を恐れず敷衍すれば、ウェブ進化だの、カリスママーケッターだのに踊らされて、現実肯定に興じている21世紀型の経済人たちは倒錯(確信犯的にそれを扇動する輩たちも同様。と言うよりむしろこちらのことか?)に、政治的な普遍性に信をおく「時代遅れ」のシトワイヤンたる人々はヒステリーに罹っているということになる。
なるほど、後者の悲痛な声(声なき声)はヒステリーと言うわけだ。
本書は決して読みやすいわけではないが、ジジェク従来の扇動し問題を投げかける思考の運動には引き込まれる。何せ、文章に芸があるのだ。