サムスンの90年代後半以降の躍進のポイントがよくわかるという点では、好著。著者の一人、吉川氏の経験を活かした記述によって、躍進の鍵となったポイント、すなわち意識、プロセス、製品の3つのイノベーションがわかりやすく示されている。これらのイノベーションに加え、オーナー企業としての李会長の強力なリーダーシップはによる危機意識の徹底や事業の絞り込みも目をひくものがある。3つのイノベーション以前に、ここまでトップダウンで方針を徹底できる日本企業がどこまであるだろうか。この点だけをとっても、わずか10数年のうちにサムスンが日本企業以上の評価(実態はともかくとして)を得るにいたった理由がわかろうというもの。それぞれのイノベーションについても、デジタル技術を活かしたグローバルなPDM(Product Data Management)とそれにともなうプロセスの整備、こうしたグローバルなPDMと結びついた、市場の求める「質」から逆算した製品づくりの体制の整備など、ポイントがわかりやすく提示されている。これらの多くは、当時の日本企業を反面教師として整備されたもので、サムスンはうまく間隙をついたといえる。
ただし、サムスンの躍進や日本企業の方向性を論じるうえで重要なポイントで、やや物足りない部分や事実誤認と思われる表現が少なからず見受けられる。たとえば、マクロの面ではウォン相場や政府支援の意義。韓国企業の躍進はウォン相場や政府支援(税制上の優遇なども含む)に大きく支えられてきたという見解は、韓国人専門家にも広くみられるものだが、こうした要因についての言及はほとんどない。また、サムスンが新興市場向けの事業展開や製品づくりで躍進したというのは、同社や韓国系リサーチ会社の資料を見るかぎり必ずしも妥当な解釈とはいえない。サムスン躍進の契機となったのは、北米市場でのブランド形成とそれに続くハイエンド戦略(日本のレベルでのハイエンドではなくグローバルなレベルでのだが)とされることが多い。実際、サムスンは新興市場への進出が欧米企業等に比べて遅れていた面があり、新興市場が本格的に立ち上がった2000年代初頭以降、サムスンはとくに収益性の面で苦戦してきたことが各種の資料からは容易に読み取れる。新興市場が軌道に乗った今日でも、サムスンの利益の多くは韓国内やアメリカなどの先進国から得られているという実態は見逃せない事実。これらの点を考えれば、サムスンが新興市場向けの安くていいものづくりで躍進したので、日本企業も見習うべきだという示唆はややミスリーディングだろう。そのほか、当時の日本企業でもトップメーカーでは当たり前のようにやっていたこと(刺身方式など)等が、あたかもサムスンに特殊な成功要因であるかのように記述してあるのもミスリーディング。
デジタル化やグローバル化の進展と新興国企業の躍進のなかで、韓国企業も苦境におかれている。こうした点を無視して読めば、不要なサムスン礼賛になりかねない。本書は韓国企業の躍進の内情を知るうえで参考になる点は少なくないが、注意すべきであろう。