実人生というものが、悲劇だけでもなければ喜劇だけでもない、その2つのないまぜだということは誰もが経験的に知っている。また、世の中の大半を占めているのは卑小な人間たちであり、それら小人たちが時代の流れにいやおうもなく押し流されながら、それぞれに小市民としての生活を送っていることも。だが、こういった人生観を実際に小説世界に映し出そうとすると、それは途方もなく難しいことなのだ。
信じがたいことに、アトキンソンの『博物館の裏庭で』はそれを軽々とやり遂げてしまった。スラスラと読め、一見通俗的なユーモア小説の装いをしたこの小説の軽妙な文体にだまされてはいけない。「信頼できない」、「全知の」一人称の語り手の導入という前衛的な語りの技法といい、総勢150名近くにもなる登場人物を配し、4世代にわたる家族の歴史を「補注」つきであますところなく描いた力量といい、どう見てもアトキンソンはただ者ではない。なにしろ、ロサンゼルス・タイムズ紙の書評子をして、イギリスの文豪ディケンズの代表作『デビッド・コッパーフィールド』の上を行く「コッパーフィールド」ぶりだ、と言わしめたほどなのだ。
誤訳が皆無だとは言わないが、問題になるほどではない。むしろ、原作の持つ軽妙なタッチをそのまま日本語に移しかえ、イギリス小説の「偉大な伝統」を受け継ぐこの傑作を日本人読者に紹介した功績を評価したい。