著者は、宗門人ではない自分がなぜこのような仏教の本を書くのかについて、「民芸運動」に携わってきた経緯をとおして、次のように説明しています。ーーどうして無学な人々のつくる「工芸品」が素晴らしいのか? 場合によっては、天才たちのつくる「芸術作品」よりも一般民衆のつくる「生活用品」のほうが美しいのはなぜか? 著者はそこに、仏教(特に浄土宗)と響きあうものがある、というのです。芸術など全く意識していない職人の繰り返す作業が、何物にもかえがたい美や味わいを生み出す。無欲の凡人が天才の自力を超える。
仏教には大きく二つの考え方があります。聖道門(自力、難行)と浄土門(他力、易行)の二つです。様々な行をつんでこの世で聖なるものを獲得しようという考え方と、念仏によってあの世で往生を得ようとする道です。本書で主に語られているのは後者です。浄土宗(法然)→真宗(親鸞)→時宗(一遍)という流れですが、著者は特に一遍を高く評価しています(一遍上人は、死の近づくのを知って、最終的に「南無阿弥陀仏」以外の言葉はすべて蛇足だと考え、所持していた一切の文章を焼き捨てました。そのため、時宗には本典にあたるものがありません)。
救われたいと思って念仏しているなら、それはまだ他力に徹していない、念仏の理想は空念仏だ、というのが著者の考えです。救済を超越したところで、念仏が念仏する。念仏が念仏するとき、美は美醜を超えるーー。「無」ではなく「空」、という仏教哲学の究極的な姿がここにあると思います。難解な専門用語が並んでいる訳ではなく、仏教の入門書としてもお勧めします。