「日本人」を探求する「民俗学」は当然ながら国民国家の成立を前提としていた。そして、学問としての発展期と植民地主義の国土拡張期が並行する中で、いかに柳田国男などの民俗学者達がイデオローグとしての役割を担い、その歴史が学会内で隠蔽/忘却されているかを検証した労作である。なお、「季刊思潮」「批評空間」等に載っていた同名の雑誌連載はごく一部で他の論文も大幅に足されているほか、出版社が変わる度に内容が変更されているので、今から読むなら一番新しい岩波現代文庫版で読むことをお勧めする。内容の充実度は文句無いが、以下のように若干気になった点もある。
-1. 韓国や台湾の併合に大きく関係した柳田国男を確信犯的な官僚政治家として描いている点は確かに新鮮だ。ただ一方で、農村の貧困問題が国家課題だった時代に決してエリートコースではない農政官僚になることを選んだり、展開した山人論では狂人や捨て子、山岳部族など農村からはみ出て暮らさざるを得なかった人々にも温かい視線でスポットを当てたように、素朴なヒューマニストとしての側面も彼にはあったのではないかと思う。だから余計にタチが悪いというのが著者の意見だろうが、柳田に限らず一個の人格というものは複雑な内面を抱えて乱反射するものだ。そういう複雑なところが門外漢の僕からすると柳田国男という人の面白いところだと思うので、一面的な批判に過ぎる印象は否めなかった。
-2. 「民俗学」という学問が担ってきたイデオロギー性、歴史の隠蔽機能はよく分かるのだが、じゃあこの学問をどのように開いていけばよいのか、もしくは最早どうしようもないのか、という将来に関わるビジョンの部分が残念ながら欠けている。多分、そこが一番面白い学問的フロンティアのような気がするし、せっかく増補するならそこを書くべきだろう。
以上のようなケチは付けたとはいえ、ポストコロニアリズムの視点から民俗学を批判した本としては完成度は高い。過去の版も含めてこんな有名な本にまだレビューが一本も無かったことに驚いたが(=2010年8月現在)、やはり学生も含めて専門筋からは忌むべき本として黙殺されているのだろうか。だとしたら、非常に残念なことである。