「南京事件は、中華国内に革命が在ってその中で中華軍が遣った事を
日本のせいにされている」と昭和40年代に聞きました。
南京の真実 (講談社文庫)や新聞記者達や日本人の証言等を照合すれば、
大日本帝国軍が南京城に入る以前に起きた
中華人達による伐採・焼払い・破壊・強奪・銃殺などの被害が
かなり甚大そうなのが感じ取れます。
Yale大学神学図書館の「The Nanking Massacre Project」では
日記の原文全文が閲覧でき解説とのニュアンスも比較できます。
解説の笠原氏が侵華日軍南京大屠殺センターの客員教授だった関係で
英語表記人名の漢字表記照合により中華人達の実名が解ります。
中華大陸内での戦争は上海線が一番の激戦で戦死傷者も一番多く、
「南京攻略戦は誰が先に行着くか、南京攻略すれば対中戦争の決着がつく」
というので猛スピードで進軍した、
南側から行って殆ど敵軍に出食わさずに着いた、とも聞いていまして、
最近、他の情報等で様々な方の話を読んでも聞いてもその様で、
私が聞いた事も事実だったと確信しています。
この日記では、1927年の蒋介石の動きと約10年後の比較、
大日本帝国軍が行く前の南京の様子、
日本軍が入る以前に混沌としていた中華人の放火や破壊等が
日本軍が入ったら暫くの間は日本軍の仕業ばかりなっている所、
直接接した大日本帝国人達は皆穏和でクレームに即対処してくれている所、
12月24日の慰安所の設置について(『南京事件の日々』では12月26日)、
不在家屋から持出した商品を売る逞しき中華人達の「泥棒市」等、
犯罪行為の中の中華人達の仕業、
彼女の周辺の人々の様子、等が読み所です。
当時、中華軍の上海での田伯烈も入った打合せでは、
中華人ではなく外国人に宣伝して貰うと決定していた事も頭に入れて読むと
それなりの状況が見える気もします。
宋家王朝――中国の富と権力を支配した一族の物語(上) (岩波現代文庫)も一緒に合わせ読むと、
中華軍の仕業がよりハッキリと見えます。
広東方面から南京に行くのに自国民を虐殺して
槍にその頭を突き刺した物を掲げて行軍してたとか
若い女の子の腹を裂いて腸を取出し体に巻付け喜ぶような軍を持っている人に
共感できない等、壮絶な記述もたまに在り、
米国に移民したそう財閥が中華への支援を流用して米国財閥として財を成したり…。
大日本帝国軍人達は、敵軍の慰霊碑も建てたり慰霊祭遣ったりしていたんですよね。
中華の人達、少しは残して置いてくれて居るのだか?