欲情した。エロ小説でないもので欲情したのは源氏物語のマンガ「あさきゆめみし」があったが、「千羽鶴」も負けずに欲情させてくれた。
ストーリーもおもしろい。川端の男女のあり方って現代の節操とは違っているんだろう。源氏物語に通じているところがあるようだ。「千羽鶴」においてもまたしても無節操な、あまりに不倫理な、そして奔放すぎる男女の濡れ場が散りばめられているが、具体的な描写は皆無である。普通の会話のやり取りで読者を欲情させるとは、その文章テクニックがスゴイ!
父は友人の未亡人と関係を結び、息子の菊冶がその未亡人を引き継ぐとは! ちょっと足りないと思われたこの未亡人母娘が、物語の終末に近づくにしたがって意外なほど存在感を増し、未亡人はついに「名品」と評価され、「差し上げるものは一流品でないと」といって未亡人よりいただいた二流半の茶碗を娘文子が菊治のお宅を訪問して割ってしまい、そして自らを絶対の存在に位置づけてしまうのだ。お茶の師匠であるちか子(これも父の愛人となっていた)のような厚かましい毒婦とはまるで違って、遠慮深く、駆け引きもなく、引っ込み思案のはずだった存在がである!。
これは源氏物語の宇治十帖の主人公級の浮舟を髣髴とさせるではないか!
「雪国」「山の音」にもあったが本編でも重複する説明箇所が見られたのは、短編を少しずつ繋いでいく書き方に由来するところがあったようだ。それが気になるといえば気になるが些細だ。
「山の音」「千羽鶴」を「雪国」の延長と定説のようにいわれているがそのわけは分からない。駒子、菊子、文子はそれぞれ芸者、嫁、父の愛人の娘である。この三人に共通するものは女であるということだけなのだ。むしろ島村、信吾、菊冶に共通しているところがあるのだろうか、これもありそうにないのだが・・・。