92年に出版された時には、医師の生活をつらい部分も含めて赤裸々に書いた高校生向けガイドブックとしては、少しは価値があった。当時はInternetは民間では普及していなかったし、巷の本屋に置いてあった進学ガイドブックは、大学や予備校を広告クライアントとしていて、ネガティブなことが書けなかった。
しかしながら、それから20年もの歳月が流れた。医師人気をボーリング産業の興亡に例えて、もうすぐ医師はおいしくなくなるだろうという予測は見事に外れた。医師は増えたが、それ以上に医師需要が伸びたのだ。
また、臨床研修制度の改革により、「研修医は採血当番になったら出勤は朝6時だ」とか「博士号は取らざるをえない雰囲気がある」などといったことはなくなった。
神でもない著者に、未来予測など不可能だから、予測が外れたことを批判するつもりはない。
しかし、改訂もしないままで、同じガイドブックが重版され、世間の高校生に誤解を与えているとしたら、非常に困ったことだと思う。
「成績がいいから医学部に行く」というのは「山が高いから登る」のと同じくらい何も考えていない愚かな決定だという指摘は一理あるのだが、現状を鑑みるに、「成績がいいから何も考えずに医学部に入る」ことが、そんなに間違ったことだとは私には思えない。
著者は、「医師は金はあっても使う暇がない」だとか、「医師は毎年の所得が転勤のたびに激しく所得が変動するので、累進課税制度下では、安定した収入のあるサラリーマンよりも不利だ」とか、「一流企業に入れば生涯で4億円稼げる」とかいったことを書いているが、書かれた時期がバブル景気の最中だったことを考慮しても、かなり世間ズレしていると言わざるをえない。生涯賃金4億円の会社に入ることがどれだけ難しいか、入ったからといって、出世競争に勝ち残り、定年まで勤め続けることがどれだけ難しいか、自分の意に反して転勤や転属を命ぜられたりする、企業そのものが倒産したり、買収されて整理解雇されたりすることも珍しくないというような、一般サラリーマンの苦労や辛さに全く言及していないのは、「隣の芝生は青い」という他ない。
平均的な能力と、そこそこの努力をしさえすれば、世間の水準よりもずっと上の所得が約束され、かつ、楽な仕事を選ぼうと思えば可能で、一定の技術さえ身につければ、どこの地域でも仕事が見つかるという、こんな自由な職業は他にないのだ。「医師は仕事が全生活なのだから、仕事が好きでなかったら不幸だ」というは大嘘である。医師の仕事が好きでなくても、仕事を続けることはできるし、余暇に自分の世界を追求することも可能だ。医師は高賃金なので、短時間労働でも、十分に暮らしていけるのだ。他の多くの職業は、生活維持のために、自分の全時間を投入することを余儀なくされる。
「医師は出世競争が厳しい」って、他の職業に厳しい競争がないとでも思っているのだろうか。医師は競争に負けても、せいぜい、アカデミックポストに留まれなかったり、大病院の院長クラスになれないという程度のことでしかないが、他の職業は、勝ち残らないと、平均的な所得を維持することすら不可能なことがあるのだ。どんなボンクラ医師でも、精神病にかかったり、犯罪でも犯さない限り、食べるのに困るということはない。こんな職業が他にあるか?
この本を読んで医学部に入り、医師になった私だから、幾ばくか言う権利があると思うが、この本に書いてある医師の実像は、時代の変化を考慮しても、ずいぶんと偏っており、ペシミスティックにすぎるとおもわれる。