北野勇作は、なんとも形容のしようがない才能の持ち主だと思う。もちろん、ことさら形容しなくっても読めばそれだけで、シュールで非人情な(だって、動物やら機械やら遺跡やらが主人公なのだから)、そしてどこかに置き忘れ、とうとう置き忘れたことさえ思い出せなくなったモノたちが突然いのちをふきこまれて躍り出てきたような、思わずハッ(ギョッ?)とさせられるその世界の独特のおかしさは、存分に味わうことができる。それはそうなのだけれど、読んでいるうちなんだか居心地が悪くなって、ついできあいの言葉でラベルをはっておきたくさせるのだから、北野勇作の才能はそれほどまでに、折り紙つきに奇妙なものなのだ。──その北野勇作の短編やショートショートを「かめ」の巻、「とんぼ」の巻、といった具合の不思議な方針のもとで編集した「おりがみ付コンパクト文庫」6巻を通読して、たとえば「螺旋階段」という短編(どうしてこれが「かえる」の巻なのだろう)に出てくる文章に思わずハッ(ギョッ?)とさせられた。《映画だってそうだし、演劇だってそうだ、あらゆる表現というものがそうではないか。/それを観る者がいなければ、なにも存在しない。観る者と、観られる者。/あるときには、観る者が観られる者になったり、観られていた者が観る者になったりもするだろう。現実というものだって、そうではないか。そんなふうにしてこの世界全体が、かろうじて存在しているのではないか。》