著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
北村 透谷
明治元年、神奈川県に生れる。早熟の質は、はじめ身を東京の多摩地域の自由民権運動の渦中に投じさせたのが、一転してそれから離脱すると、道をキリスト教に求めるとともに、志を文学に立て、自由律による長詩「楚囚之詩」を明治22年に刊行する。同24年には劇詩「蓬莱曲」があり、主に「女学雑誌」に拠って「厭世詩家と女性」をはじめとする数多くの評論を短時日に発表する一方、伝道のことに加えて日本平和会の機関誌「平和」の編集にも携った。同26年「文学界」を島崎藤村らと創刊、「富岳の詩神を思ふ」以下の文を同誌に掲げて初期の浪漫主義文学運動を主導したが、程なく精神に異常を見るまま、翌27年に自死して卒る
高山 樗牛
明治4年、山形県に生れる。中学時代から文才に秀いで、東京帝大哲学科に在学中の明治27年「滝口入道」を以て読売新聞社の懸賞小説に応募、入選する。同28年「帝国文学」の発刊に与っては、また「太陽」に寄稿を始め、青年の間に迎えられた健筆は、同30年「日本主義」を唱えるに及んでも変らず、やがてニイチェに関心し、同34年に発表の「文明批評家としての文学者」は、ニイチェの名を一般に広く知らしめた。その前後から、予て兆していた胸部疾患が進行するのに伴い、興津ほかで転地療養につとめるうち、「宗門之維新」の田中智学を識ったことから、日蓮に深く傾倒するようになったところを翌35年に歿する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)