2005年と06年に早稲田大学で北村薫が受け持った「表現の授業」の一部を活字化したものです。
新潮社や講談社の編集者や、歌人・天野慶を招くなど、北村薫ならではの創意工夫を凝らした授業が記されています。
編集者の業界裏話は本好きの読者にはたまらない面白さを伴っていますし、朗読家である北原久仁香を招いた講義部分の脚注に北村薫の短編集「1950年のバックトス」所収の「林檎の香」の裏話が書かれているのを見つけるのは、北村ファンにはこれまたたまらない読書体験といえます。
そしてなによりも、心が添うのは次の二つの言葉です。
ひとつは89頁で綴られている、
「様々な解釈は作品の中に隠れてい」て、「だからこそ、読むということが、ひとつの創作になるわけ」であり、
もうひとつは、ずっとくだって314頁の、
「読むというのは、自分がどういうところに立っているか----自分の位置を示す行為に外な」らない、です。
小中そして高校と、おそらく私たちのほとんどは読書とはあるひとつの考えを読み解く作業であると考えるように馴致(じゅんち)されるのではないでしょうか。しかし、読み解いた末に見えてくるものは読み手の数だけあるということを胸を張って言えるときに、はじめて読書は無上の喜びとなることを私自身も知りました。学校を離れた途端に読書が楽しくなった覚えのある身には、上に引用した二つはとても親近感のわく言葉に感じられるはずです。