本書『化粧と人間』は儀礼的なものから個人の趣味の領域にシフトしている現代の化粧文化に
ついて、教育的な提言をしようという試みだ。
言っていることははっきりいって陳腐だ。内容は「分析」の前半と「提言」の後半のふたつに分け
られ、まず前半において著者は、近現代の美容・化粧文化での美的価値基準を若さと均質さに
固執する「ファストビューティー」であったと評す。これはよくあるフーコーの「従属する身体論」の
亜流で、近代に入って労働力として人が規格化されていくというプロセスに化粧文化もあてはま
るというのだ。
この時点で真面目に読む気がなくなるが、それでもガマンして読みすすめると、後半が著者自身
による「提言」だ。彼女はそんな既存の美に対抗して、これからは「人それぞれ・年それぞれ」の
美を各々が主体的に楽しむ「スロービューティー」なのだと提唱する。要するに、個性的な美を追
求しろ、というのだ。
しかし、現代の売り文句はだいたい「個性」や「多様性」だ。すでに若い子は、「個性的であれ!」
という「命令」を子供のころから浴びるようにうけている。第一、書いていて「個性教育」という言葉
の語矛盾に、著者自身は何も違和感を抱かないのか。僕は「カレー味のウンコ」以来の違和感を
抱いたぞ。それに若年層の化粧を放っておくとマズいという著者による一つの価値判断それ自体、
一つの研究対象になりうると思う。
著者は、教育機関も古典芸能のような最低限の化粧の「型」は教えておくべきだとするが、サブカ
ルに対し行政がトップダウン式の介入をしておサムい失敗を繰り返すのを見るにつけ、これはうまく
いかないんじゃないかな。強いてあげれば学校がすべきは、本書でいう「自然科学的基礎知識教
育」くらいで、コンタクトを何日もつけっぱにして感染症になったり、若い子は医薬品や肌につけるも
のの管理がとにかく杜撰だ。ほっておくとマズいので、その点は教育すべきだと思う。