正義とはこういう形態しかとらないという見本のような本。まさしく自分(大坪元部長)が厚労省の村木さんにしたことはストーリーを描き、村木さんを悪人にする(有罪にして収監する)ことだった。本書の中で自分(大坪元部長)は全く同じ立場(逆の立場)に立ってどのような寛容性や正義への洞察にいたったか非常に興味があったので購入した。にもかかわらず、本書の中ではそれには全く言及されていない。というか、この期に及んでも、自分(大坪元部長)だけは間違いは犯さない。さらに自分が描いたストーリーで翻弄された彼女(村木さん)は完全に有罪(自分の描いたストーリと同じ)とこの期に及んでも、そう思って書いている文章がいたるところで散見される。そして、今まさに自分(大坪元部長)が逆の立場になって、憤り、憤慨し、家族愛を描いている。まるで悲劇のヒーロー気取りだ。アメリカはアメリカの正義を主張し、ムスリムはムスリムの正義を主張し、自分自身他者に行った非道、悪行、仕打ちを、今度は逆の立場で相手からされたら、自分を棚にあげて憤慨する。正義の本質はそこにあることを筆者は全く気づいていない。
正義とは勝利(この本には勝つ、負けるという概念で統一されている)と同義であることが良く描かれている。