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154 人中、117人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
リファレンスとしては参考になりましたが。。。,
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レビュー対象商品: 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書) (新書)
個人的に、最近のオタク文化や、それを取り巻く言説に疎かったので、そのへんの流れを要領よく紹介してくれるリファレンスとしては、本書は大変参考になりました。ただ、その状況に対する著者自身の分析には、納得できないところが多々ありました。 たとえば、オタク文化のメルクマールとして、「大きな物語」に依拠しないということを挙げていますが、もともと、芸術というものは(ファイン・アートにしろポップ・アートにしろ)大きな物語に依存してトップダウン的作られるような作品は(一部の宗教芸術やプロレタリア芸術を除いて)まれで、むしろ、生活実感へのこだわりからボトムアップ的に作られて、逆に大きな物語を脅かしてしまうようなものの方が多かったのではないでしょうか。 また、「萌??要素」へのこだわりや、引用を意識しない相互影響というものは、それほど現代オタク特有の現象でしょうか。たとえば、印象派の絵画に浮世絵の技法がとりいれられ、さらにそこから日本画が影響を受けたりといった現象と、質的に決定的な違いがあるのでしょうか。 また、現代オタクが本当に「動物化」しているのなら、なぜ特定の萌え要素だけに満足せず、それらを組み合わせて果てしなく戯れようとするのでしょうか。むしろ、彼らにはまだ物語への要求が残っているけれども、信じるに足る物語が見出せないために、その戯れは生活実感を超えたところまで飛翔できない、という解釈のほうが説得的ではないでしょうか。 おそらく著者には、オタクこそがポストモダンの現在形だ、という強い直感があるのでしょうけ!れど、少なくとも、そのような直感を共有しない私にとっては、著者の議論は、論理的にも実証的にも、説得的とは思えませんでした。 むしろ、私は、昔から行われてきたことが、テクノロジーの発達によって、高速かつ大規模に行われるようになっただけではないか、という気がしているのですが。。。
105 人中、76人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0
もともと動物ポストモダン,
レビュー対象商品: 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書) (新書)
より簡便に、動物的に欲望を満足させてくれるような、ファーストフード的作品を消費するオタクと、
そうした土壌のニーズに合わせて作られる「萌え要素の組み合わせ」としての文化について論じた本。 東はこうした、「萌え要素の組み合わせ」によって創造や消費が成り立っている様子を、「データベース的消費」として、ポストモダンに特徴的な傾向だとしているが、しかし、「萌え要素の組み合わせ」によって作品を作るのも、 「萌え要素の組み合わせ」を人が好んで消費するのも、今に始まったことではないと自分は思う。 データベースとか、大きな物語とか小さな物語とかいろいろ言ってるが、どうでもいいなぁという印象が最後まで拭えなかった。 大昔から演劇にせよ絵画にせよ、あらゆる文化はできるだけ人間を「刺激するように」作られてきた。人間を刺激するデザインと、人間を刺激する物語と、人間を刺激するイラストと、人間を刺激する音楽と…。これらすべて「萌え要素の組み合わせ」に過ぎない。 そして、特定の刺激によって反応しやすかったりピンとこなかったり、人によって嗜好(萌え要素)が違うのもまた、今も昔も変わらない。 たしかに現代は、動物的に欲望をあっさりと満足させることができる「便利な社会」で、その意味で動物化していることに異論はない。 しかし、「より動物的に欲望を満足させてくれる商品を好む」傾向は、なにも今に始まったことじゃない。 小さな音から徐々に大きな音へと盛り上げていく音楽。静かなシーンのあとにうるさいシーンを持ってくる映画の演出。これは「対位法」といって、人間をより動物的に刺激するために方法論化された技法に他ならない。こういった方法論化された「技術」を使うこともまた、「萌え要素の組み合わせ」には違いない。 その意味で「動物化するポストモダン」というタイトルにはひとつ誤りがある。 人が動物化しようとするのはなにも現代に始まったことではない。この世に人類が誕生したときから、より簡便に自分の欲望を満たせるよう人は頑張ってきた。今はその簡便に満たせる欲望の範囲が、昔に比べてはるかに広がってきただけだ。そしてそのぶん、「データベース」にある情報(人間の欲望を満足させる技術)の量も膨大な数になってきてるだけ。 だからタイトルは、「動物化したい人類」にでもしたほうがよかったように思う。アイデアが面白いという人もいるけど、アイデア自体はコジェーヴに依拠しているわけで、東のオリジナルの部分というのはこういう表層をなめただけの論理に終始している。 東浩紀自体は嫌いじゃないというか、関心のある書き手の一人だが、この本に限ってはやたらと底の浅さが際立っているため、☆1つ。
42 人中、28人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0
語るだけ無駄,
By 弐之宮瓶 (東京都世田谷区) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書) (新書)
多く語る気になれない本です。
この著作を書いた時点での東氏は、オタク文化の表層をなぞってるだけで、根本や常識的な事すら全く理解してません。 読むだけ時間の無駄です。この本を凄いを思ってる人が居たらソーカル事件の本でも読んでください。 一例を挙げると『メガゾーン23』というアニメで、人々を欺いている仮想現実が、八十年代の東京に設定されている事に意味があると、ダラダラ考察していますが、それは単に『メガゾーン23』が1985年に製作されたので八十年代を舞台にしているだけです。ごく常識的な思考能力があれば、すぐに分かることだと思うのですが…。 (映画『マトリックス』の仮想現実世界が、2000年前後を舞台にしてるのに、その頃がポストモダン哲学の転機だった。だの、大きな意味があると、長々論じているようなものです) 本書で論じられている、「シミュラークル」や「データベース」も、単なる言葉遊びで、シャイクスピアの時代から存在したものであり、オタクやポストモダンと関連付ける必然性が全く感じられません。 ただ、その後の東氏は、オタクカルチャーをよく研究するようになられたので、この本以外は東氏自身が門外漢の人間として、或いはオタク的な立場からオタク文化を観察したエッセイ本として非常に興味深く読めます。
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