■概略
山間の田舎町で母と共に暮らす少女・アスナは、ある日父の形見である鉱石ラジオから不思議な歌が流れてくるのを耳にする。その数日後、山奥で熊のような怪物に襲われたところを地下世界アガルタから来たという少年・シュンに助けられる。アスナとは初対面のはずのシュンだが、彼は「ただ君に生きていてほしい。それだけでいいんだ。」という言葉を残し姿を消した。シュンの姿を探し彷徨うアスナの前にシュンと瓜二つの少年・シンと、10年前に亡くした妻との再開を切望しアガルタを目指す教師・モリサキが現れ、彼女たちは導かれるように地下世界へと降り立ち・・・
惹かれあう男女の心の距離を描いた「秒速5センチメートル」の新海誠監督が4年ぶりに繰り出す新作アニメーション。
■感想
※ここから先には激しいネタバレが含まれていますので、ご了承下さい。
この映画を見終わった後、いや見てる最中でも「これは本当に新海誠か?ジブリの間違いじゃないのか?」と本気疑うほどにジブリナイズされた映画でした。死者を蘇らせる秘術を隠した地下世界、そこから来た少年の影を追い冒険に出る少女、その秘術を得るためには手段を選ばない人間、そして外部からの侵入者を拒む神々。これまでの新海誠の作品とはずいぶん毛色の違う、ファンタジックで壮大なストーリーが特徴的です。
しかし個人的には、その描写があまりにもジブリ作品に酷似していることに少なからず気持ち悪さを覚えてしまいました。秘術を秘めた地下世界への扉を開く鉱石はラピュタへの道を示す飛行石と全く同じ役割だし、目的のためにアスナを利用し地下世界へ足を踏み入れたモリサキは台詞や外見さえもムスカにそっくり、アガルタで侵入者を攻撃した(ラストはアスナを最後の地に導いた)神様はラピュタを守るロボットと同じ演出。それだけでなくアスナになつく不思議な猫・ミミは「ナウシカ」のキツネリスよろしくといった感じで、他にもシーン的にはアスナとシュンが出会った山間から突き出した崖は「もののけ姫」でモロがアシタカに「お前にサンが救えるか!」と吠えた構図に酷似しているなど、正直挙げればキリがありません。終いには「バルス!!」とか叫びだすんじゃないかとハラハラしていました(苦笑)。
また、テーマが壮大な割にはストーリーは非常に陳腐なものになっており、先の展開や台詞すらも簡単に想像がつくほどに、良く言えば古典的な、悪く言えば何のひねりもないものに仕上がっております。正直、正視に耐えませんでした。
この映画の最も大きなメッセージは「大切なものの喪失から逃げるのではなく、それも人生の一部として受け入れて生きること」と言えます。監督はそれを、旅を通じて成長するアスナや亡き妻の再生を求め失敗するモリサキを通じて描こうとしているのだと思いますが、それにしてはアスナの目的意識があまりに曖昧で、「旅を通じて成長する」というよりは「周りに流されて何の主体性も無い少女」という印象を受けました。同様にモリサキにしても、執念に駆られ暴走し結局痛い目にあう自業自得なムスカと全く同じオチで、そこから何かを得たのだとか、何かを悟ったというような描写が一切なくエンドロールを迎えてしまい、全てについて表面的なことしかわからないまま終わりを迎えます。
新海誠ファンとしては非常に残念ですが、総括としては完全な失敗作と言えるでしょう。はっきり言って、登場人物の行動原理や心象変化の描写、舞台設定があまりに適当すぎます。「秒速5センチメートル」のあの胸を切り裂くようなメッセージ性は、あるいは「ほしのこえ」の未熟だけれどもユニークな切り口から切り取った心象世界はどこへ行ったのか。次はもう少しテーマを絞り込み、そしてパロディ性を排除したオリジナリティのある映画を期待したいと思います。
※おまけ
「星を追う子供」登場人物とジブリキャラクターの照らし合わせ+α
鉱石クラヴィス→「ラピュタ」の飛行石
アスナ→「ラピュタ」のシータ
シュン→「ハウルの動く城」のハウル
シン→「もののけ姫」のアシタカ
モリサキ→「ラピュタ」のムスカ
ミミ→「風の谷のナウシカ」のテト
アガルタ→漫画版「風の谷のナウシカ」のシュワの墓所
イゾク→「もののけ姫」の猩々
ケツァルトル(鹿)→「もののけ姫」のシシ神
ケツァルトル(最後にアスナを導くやつ)→「ラピュタ」のロボット
肺に入れると呼吸できる水(名前忘れた)→エヴァのLLC