国家分断という過酷な設定にもかかわらず、彼らの内面にそれらの事象はほとんど反映されていない。圧倒的に占める思いは眠り続ける少女への思いのみ。どこかで読んだことがある、と思ったら、三島由紀夫『金閣寺』でした。祖国の敗戦と占領という、後の三島からすればアイデンティティ・クライシスに陥るほどの重大事件のはずの出来事が、主人公たちの内面にはほとんど擦過するほどの影響も与えていない……なるほど、主人公たちの内面世界に深く沈潜することで珠玉の作品を生み出したのだと考えれば合点がいきます。
クリエイターのきらめくような才能は、もはや誰もが認めるところですから、あれこれ言いません。ただ、私小説という表現スタイルは容易に自家中毒に陥りやすいこと、そもそも現代日本にとってもはやそれほどの生命力を持ち得ないのではないかという疑問をぬぐい去れないこと(芥川賞の現状を見よ)から、どこかでこのスタイルを脱皮しないと行き詰まる危うさも感じています。
もちろん、これは非難しているのではなく、作者の才能を高く評価するからこそ危惧するところです。