ベルクソンは、本書において、当時影響力を強めつつあった進化論を参照しながら、生命の本性にもとづいて、人間の思考の特異性を明らかにしようとした。第4章は「思考の映画的メカニズムと機械論の錯覚」と題されており、登場したばかりの映画をうまく例につかって、ゼノンのパラドックスなどに新しい光を当てている。映画は、静止画像を次々に交替させるだけなのに、スクリーン上ではものが動いているように見える。この対比が、悟性的・静止的思考と躍動する生命とに類比されるのだ。本書は難解な『物質と記憶』とは違って、読みやすく、興味深い論点も多岐にわたっている。「無」の問題を扱う箇所も面白い。たとえば、「なぜ、何ものも無いのではなく、何かが存在するのか?」というライプニッツの問いを論じる箇所を、旧訳と比べてみよう。(岩波文庫訳)「存在は無の征服として私にうつる。何もなくてもよいし、それどころか何もあるはずはないのだと私は思い、しかも何かがあるのに驚く。」(p324)/(本訳)「存在は無の征服として私に現われる。私は、何も存在しないということがありうる、いや、そうでなければならないとさえ考える。それで、何かが存在することに驚くのである。」(p349) 後者の方が、哲学的思考をより正確に反映している。