2週間ほど前祖母が85歳で亡くなりました。 私は現在アラフォーです。
考えてみると祖母は35年一人暮らしでした。しかし50歳って実はまだ若いですよね。
私は幼少時代から祖母を知っていたわけですが、振り返るとその頃すでに老いを特権のように
使っていました。年を取っているから大事にされて当然ということのようでした。しかし、
祖母は非常に愚痴が多い人だったので…あまり人が寄り付かず、私も1時間も2時間も
祖母の気が済むまで電話で愚痴を聞かされたものでした。
そういう状態だと周囲の人も家族であってもなかなかサポートしづらいものです。
特に彼女は自分の人生を不幸だと信じきっており、物事の明るい面を見せようとしても頑固に拒む人でした。一人暮らしにだって気楽さというポジティブな面はあります。事実祖母は一人暮らしを自分でしたくて選んだのでしたが…。最後まで自分の境遇には自己憐憫はあれど、あまり
満足感はなく息を引き取った気がしますが、実際は民生委員の方や包括センターの人、近所で長年新聞を届けてくれる人など、人の親切に恵まれた老後でした。祖母がそのことを感謝せず亡くなったのは残念です。
人は誰しも年を取ります。子供の頃は年を取ることを成長とよび、大人になれば老いと呼ぶのは
まったく人間の都合でしかありませんよね。
老いない人間はいないのですから…若さを羨んでも困ります。羨んでいる当人もかつては若く、そして、今の若者だって時間がたてば老います…そんな平等を羨むのは不可能を求めて不平をいていることですから・・・
ただ、成長はさまざまなことを克服していくチャレンジ、獲得のプロセスに対し、老いは様々なことができなくなっていく喪失のプロセスとはいえます。喪失への同情はとても感じます。
その喪失するプロセス、老いをどうすれば楽しめたのだろうか?と思い、祖母の死後、この本を手に取りました。
この本の著者は、93歳です。 老いということは、昨日できたことが今日できない。
その事実に対し、「へぇ〜」という気持ちで見るのだそうです。つまり老いを発見するプロセスですね。どんなことに対しても観察する喜びと言うのはあるのだ、と納得しました。
この本にはただ老いに大してリアクティブ(反応的)に生きるのではなく、プロアクティブ(主体的、先取り的)に生きていく知恵が詰まっています。基本的には、小さな生活術の記述で、
自分は当てはまらないな、と言う方もいるとおもいますが、その背後にあるものの考え方、捉え方には非常に参考になる面があると思いました。
何しろ、愚痴ばかりの老人には若い人は寄り付きません!悲しきカナ真実です!!
いくら若い人を儒教的な敬老思想で染めようとしても、無駄です。愚痴人間には年をとっていようが、若かろうが、人は寄り付かないものなのです。
でもこんなおばあちゃんなら教えを請いに遊びに行く人も増えるでしょう。
個人的には70代、80代の老いを嘆いている人にはぜひ読んでいただきたい本だと思いました。