これは10年ほど前の代物だが、過去を振り返ってみるのも悪くないと思って読んでみた。まず、この書物の最大の欠点は、概ね「制服少女」の生態にしか言及していないことである。パンツや女子高生を買うオヤジの生態はほとんどノータッチなのだ。これを社会現象として扱うのなら、当然両方の分析を行わなくてはならないはずだ。もうひとつは、現代人は、自己を既定する共通の前提を失って指標もなく浮遊する不安定な個であり、現代の女子高生もその例外ではなく、それが不特定のオヤジと関わる心理的機制である限り、そこから生じうる自己変容に対する免疫をつけさせる必要がある。即ち、彼女らは夢遊病患者のように援助交際・パンツ売りへと走っているのだから、それをやるにせよやらないにせよ、そこには常に自覚的選択の意志が伴うべきであるという主張である。だが、彼女らは本当に「ふらふら」と幽霊のようにパンツを売ったり・オヤジと寝たりしているのだろうか。私は、そこはそんなに断定しないほうがよいのではないかと思う。ただ宮台は、不特定の男と惰性で性関係を結ぶことにより、特定の「男」との安定的な関係を樹立できなくなる可能性を示唆している。もし宮台の意味するところが対幻想の崩壊であるのなら、それはありうると思う。それにしても、中間部の新人類やらオタクやらの類型分析はそれ自体がオタク的作業のよう見え、これほど人間というものをカテゴリー化して考えてよいものだろうかと疑念を禁じえない。いずれにせよ、宮台というのはバカなのか利口なのか解らないような男である。私は、宮台より若いがどうも、彼は私とは異なる精神空間にいるような感じがするのである。うなずけるところも多々あるのだけれど。