リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』が出たのが1991年だから、もう20年たつ。
ずいぶん時間が開いているから、本書が『利己的な遺伝子』のアンサーブックだと
早とちりする読者は、そう多くはないかもしれない。
それでも、「おや、利他的な遺伝子が発見されたのか?」と短絡する人はいそうだ。
興味本位で手に取れば、きっとがっかりすることだろう。
この本には、目新しい発見や、ビックリさせられる新発想はない。
それどころか、サイエンス系の本にしてはえらく古いネタも満載だ。
御年80歳の老教授にしてみれば、ネタの鮮度はたいした問題ではないと見える。
それよりも、著者の「噛んで含んで、わかるまで根気強く教える」という
じつに先生らしい文章が、意外なことに、私にはかなり新鮮に感じられた。
プロローグは、かなり印象的なアーミッシュとの出会いだ。
そこから、「利他とは?」という考察が始まる。
しかし答えは、簡単には導き出されない。
それどころか、あちこち回り道したり、寄り道したり、
折々に「生物の授業風」な解説を交えつつ、
話はじりじりと亀の歩みで、進んでいく。
あれ、何の話だっけ? まあ、いいや。
そう思えるのは、語り口に嫌味な感じがしないからだ。
理系の先生で、謹厳実直、訥弁、シャイな人を、昔はよく見かけた。
この本の著者も、たぶんそうした一人なのだろう。
クライマックスは表題に掲げられた「利他」への傾倒だ。
社会的動物である人間にとって、利他は本能に刻み込まれたものだと
断言したうえで、著者は次のように述べている。
人は利他によって心の満足を得る。利己ではなく、利他で満足が得られるのは、
おそらく、共に本能であっても、利他のほうが利己よりも進化的に新しく、
発達した脳(心)の働きが、より強く作用しているからであろう。
よい生き方とは、利己と利他のバランスを適切にもって生きることである。
よき社会とは、利己と利他のバランスが適切に保たれている社会である。
自然と共存し、人とのつながりを大切にして、互いに助け合い、協調して、
みんなで一緒に生きていく。
書けば当たり前のことと思えるし、言葉で聞かされれば、やや「臭い」かもしれない。
しかし、「結局はそれが大事なのだ」「そこを忘れずに生きなさい」と
老教授は繰り返し、語っているのである。
利他と利己。人間のオモテとウラ。この両者にまつわる疑問を
「生物学的な立場から考えてみた」(あとがきより)のが本書だ。
しかし、一読して私が心ひかれたのは、生物学的知識や見解というよりも、
人間をまっすぐ見つめる著者の視線と、眼差しの温かさである。
ちょっと時代遅れだが、皆に敬愛されるチップス先生のような、
と言ったら言い過ぎだろうか。
そんな日本のチップス先生の最終講義だと思って読めば、
古いエピソードが、不思議に生き生きと頭に入ってくる気がする。